想出と自虐


 先月(2002年10月)の友人Kとの旅行の反動だろうか、今回は無茶苦茶内省的な気分で沖縄にやって来てしまった。内省的とは言っても、べつに取り立てて落ち込んでいるわけでも重苦しい心持ちだというわけでも無くて、ただ、ひとりきりで静かに沖縄を見て周りたい、と思っただけのことではあるが。
 実は、この二日間の休みは当初、竹富島で開催されている“種取祭”を見に行くつもりで居た。が、どうも気が乗らない。朝、羽田空港に着いて散々迷った結果、種取祭見物をやめることにして、那覇〜石垣の飛行機と石垣島のホテルの予約を急遽キャンセルしてしまった。見物客が殺到しているであろう祭りの中に入り込むのが何となく気が引けたし、心から楽しめるとは到底思えなかったから。というわけで、種取祭はまた別の機会に…と見送ることにしたのだ。
 果たして、沖縄がこんな辛気臭い男の一人旅にふさわしい場所なのか否か、多分あまりふさわしい場所じゃないよな、などと自嘲気味になりながらも、僕は那覇空港から出てレンタカーを借り、国道58号線を北上する。車で走りながら、とくに理由も無く「石川市に行ってみようか」と思いついた。
 考えてみると、僕はかなり多くの市町村をろくに見もせずに素通りしていた。殊更“全市町村制覇”なんてことを目論んだりするつもりは毛頭無いが、今まで一度も立ち止まったことの無い場所を時間を取って歩きたいとは思う。そこに何か心惹かれるものが在ろうと無かろうと、そんなことは一向に構わなかった。

 一人旅は、ある意味いつも孤独ではある。元来僕は“旅先での出会い”とか“旅行者同士で意気投合”といったものが苦手なので、尚更そうなってしまう。でも、日常の中では否応無く周囲を気遣ったり相手に合わせたり間合いを計ったりしなければならないことが多いので、こういう“自分のことを誰も知らない”という状況は、これはこれで心地良かったりもする。その心地良さを味わう為の二日間。だから、本当は旅行記になんてならないような極個人的なほっつき歩きの記録ではあるし、恐らくこれを読んでも沖縄旅行の参考になる要素など微塵もありゃしないはず。まさに自慰行為(と言ってしまえば今までの旅行記だって総て単なる自慰行為ではあったのだけど)。僕の自慰行為なんぞ塵ほどの価値も無く、どうもごめんなさい。と、予めお詫びしておきます。
 

これ、結構ロングランのイベントだよねぇ。
9・11事件以降、ずっと空港で開催されてる。
ついつい見入っちゃうんだよね。

  

那覇軍港のゲート前。
この日は門番をしている兵士や警官の姿は見えず。
あれから1年ちょっとが経過したわけだけど…

  

“ゆいレール”の高架が目立ってます。
個人的にはまだ何となく違和感がある眺め。
車輌のテスト運航もボチボチ始まってたみたいです。

    

国道58号線。
いつもお世話になってます、58号。
って言うか、無意識にこの道路を走ってることが多い(^_^;)

    

これはたぶん港川の辺りの写真。
外国人住宅が立ち並んでました。
すぐ脇には“キャンプキンザー”が在る。

  

『昭和食堂』の実体は、どうやら居酒屋のよう。
隣りの“名画座”は本物の映画館じゃありません。
…ちょっと微妙な感じ。

  

嘉手納ロータリー。
お弁当屋さんが24時間営業ってのが沖縄らしくない?
『ロータリー弁当』という名も直球でよろし。

  

 石川市。僕の中に在るのは“闘牛の盛んな場所”、“登川誠仁の住んでる所”といったイメージぐらいだった。そう言えば、その登川誠仁のレパートリーの中に『伸びゆく石川』という曲があった。「謡にも詠まれた美しい石川」「次々学校が出来て年々栄えていく石川」「石川市は伸びゆく町」…確かそんな歌詞だったと思う。この曲を作って歌う誠小はきっと石川を愛しているんだろう。
 国道58号線から嘉手納ロータリーを経て東海岸方面に進路変更し、国道329号線に入る。と、すぐに石川市の中心部と思しき地帯に差し掛かった。周辺を車でグルグルと走ってみるのだが、手頃な駐車場が見つからない。暫く徘徊し、結局『石川市役所』の駐車場を拝借させてもらうことにした。
 市役所は、金武湾に面した海っ縁に在った。そこから“石川市漁港”を見ながら、市街地に向かう。市街地とは言っても、目立つのは“サロン”や“スナック”という文字の書かれたネオンや看板の連なる社交街と、『ホームセンター・タバタ』(あやふやな記憶)という大きめな建物ぐらい。地元の方々には大変申し訳ないが、かなり寂しい町並みだった。社交街には“うりずん通り”や“ハイビスカス通り”という名を冠したアーチが架けられ、新旧入り乱れた飲み屋が一般の住宅と混ざりながらひしめく。この社交街と隣接するように小学校と幼稚園が建っているのだが、今日は日曜日なので子供の姿は見えない。
 国道329号線沿いにも商店が並んでいる。が、中には営業をしているのかどうかも定かでは無いような店舗も在って、活気に欠く。歩道を歩く人影も少なく、ホームセンターに出入りする客が行き交うぐらいだった。“琉映前”というバス停が立っていたが、果たしてその“琉映”なるものが存続しているのかも分からない。

 …だが、僕はとくに社交街に無性に惹かれ、さほど広くないエリアの中を小一時間掛けて行ったり来たりした。昼の歓楽街はどこか無機質な、それでいて様々なものが染み込んでいるような不思議な空気に包まれている。ここを歩く僕は、きっとかなり浮いている存在だったのだろうが、その違和感が何だか快かった。狭い路地を行く地元の人の運転する車が、擦れ違いざまに僕を訝しむ。確かにこんな時間にこの場をブラブラと歩く僕は、地元の人の目にはかなり妙な奴に映っただろう。
 路地には廃墟或いは残骸と化した銭湯も在った。最早僕にはこの銭湯がいつ頃潰れ、いつからこういう状態になっているのかもさっぱり分からないが、かろうじて残っている壁の一部に書かれた但し書きやカランの跡を見ながら、かつてここで入浴を愉しんでいた人達と、それを迎える店主の様子を想像してみる。
 勿論、「寂しい」という気持ちはあまり歓迎したく無いものだろうし、出来れば避けたい感情かも知れない。でも、多分そこにはやさしさや温かさが背中合わせになってくっついて居る。過ぎていくものや変わっていくものを留まらせたい、と思いはするけれど、流れを止めることは難しい。だから人は絶えずやさしい寂しさを抱えて生きてゆく。この寂しさでさえも愛おしいと感じることが出来れば…
 気取り過ぎなのは重々承知。ひとりで町を歩いていると自然とそうなってしまう性分なので、こればかりは致し方無い。くすんだ色味の町は、疎外感と感傷と懐かしさが入り混じり、僕はちょっとばかり孤独感に苛まれる。そんな僕の気分を煽り立てるように、空は次第にどんよりと曇り始めた。この日の最高気温は23℃もあったらしいのだが、陽射しが遮断されてしまうとぐっと冷えて来る。寒色の町並みに寒色の空。しかし、不思議と嫌な気分では無い。…やや自虐的になっている気がしないでも無いが。
   

“石川市漁港”付近の海。
市役所のすぐ隣りにあります。
向こうに見えるのは沖縄電力の火力発電所。

  

漁港の中にあった直売所。
「いまいゆう」ってのは「美味い魚」ってことか?
それとも“今井優”みたいな人名?

  

海岸沿いに在った趣きたっぷりのコンクリート建築。
近くに“リバーストーンビル”なんていう建物も在った。
石川だからリバーストーン…分かりやすい。

    

イイ感じの歓楽街が続きます。
『サロンかなさんどー』…「愛してるよ〜!」って感じ?
『カフェー泉』ってのもなかなかグー。

  


とにかく飲み屋ばっかり。
329号線を挟んで両側に密集しています。
“サロン”って多いよね?普通の飲み屋だよね?

  

石川の社交街に架かっているアーチのひとつ。
う〜ん、これまた直球なネーミングですなぁ。
バックの建物の装飾にも目を奪われます。

  

このすぐ横に小学校&幼稚園が…(^_^;)
教育上、大丈夫なの?と一瞬思ったりもする。
子供は早くお家に帰ろ〜ね。

  

ハイビスカス、そして“うりずん”。
極めて地元色の強いこの町では浮いてます、かなり。
その浮き具合が可愛いと言えば可愛いかも。

   

ステキですねぇ、『スナック想出』。
どことなく物悲しささえ感じさせる看板。
きっとママさんは情に厚い人に違いない。

    


そんな『想出』のすぐそばに…
解体途中の銭湯ですね。
沖縄では今や絶滅の危機に瀕している銭湯。

  

風呂に入ったついでに洗濯も。
合理的かもしれないけど、確かに迷惑な行為。
パンツなんかをジャブジャブ洗われてもねぇ…

  

“庶民の社交場”などと言われた街の銭湯。
時代と共に消え行く運命なのかも知れず。
ここにもきっと“想出”が染み込んでいたはず。

  

 社交街を離れると、周辺はさらに閑散とした印象を強める。商店街は在るには在るが、どこも取り残されたように活気を失っていた。どうやらこの一帯には再開発の話が持ち上がっているらしい。なので、今は特別手を加えずに再開発が実施されるのを待っている、という状況なのかも知れない。…それまで持ち堪えられるかが微妙、という感じの店も多いのが気に掛かるが。
 長屋のように店舗が連なる建物の老朽化もかなり激しいし、雨除けの屋根はその機能を失い、骨組みが丸出しの状態。正直言って、ここまで寂れた商店街を見るのは初めてだ。辺りには住宅も在るし、団地らしき建物も見えるのに、どうしてこんなに寂れてしまったんだろう。ひょっとすると、これって車社会・沖縄の弊害?やっぱり皆、駐車場完備の郊外型大型店に出掛けてしまうんだろうか。ふと、国際通り界隈と天久新都心の関係が頭を掠める。
 いや、でも、くどいようだが時勢には人力で逆らうことは難しいのだ。時勢を逆手に取ることは可能かも知れないが(例えば昭和30〜40年代の趣きを再現したテーマパーク風な施設があちこちで出来ている現象とか)。栄枯盛衰。諸行無常。…と、自分の中の未練めいたものに無理に蓋をしてみる。
 何やら辺りの空気は白々として、張り詰めているようにも感じるし、弛緩しているようにも感じられた。僕は急に居心地の悪さを覚えて、市役所の駐車場に戻ることにした。
 市役所に向かう道すがら、ふと「果たしてこんな調子で旅を続けて良いものかどうか…」と思う。でも、たまにはこんな沖縄旅行も良いのではないか?とすぐに思い直した。
 恥ずかしい話だけど、『あおのしましま』というサイトを始めてからの僕の沖縄旅行は、いつも「帰ったら旅行記を作る」ということをどこかで意識しながらの旅だった。いつしか「沖縄に行ったから旅行記を書く」のか、それとも「旅行記を書くために沖縄に行く」のか、そのへんがゴチャゴチャになって、純粋に「沖縄に行きたいから沖縄に行く」という感じではなくなってしまうことも多かった。僕は己の自己顕示欲の為に沖縄を利用してるだけなんじゃないか?と悩んだりもした。
 でも、今回の旅行はちょっと違った。石川の町を歩いているうちにそんなことはどうでもよくなった、と言う方が正しいかも知れない。旅行記にならなくても構わないかな、と。丁度約1年前に本島の東海岸や栄町を巡ったときのように、いや、そのとき以上に極々私的な沖縄漂流。やれディープだ癒しだのという短絡的な流行りに乗るのでは無く、例え眉間に皺を寄せながら彷徨するのだって、それはそれで宜しかろう。
 …などと息がってみた2002年11月。多少排他的になっていたのは、もしかすると天気が悪かったからかも知れず。
 

“銀座通り”という交差点の辺り。
どこが“銀座通り”なのか判明できなかった。
これは国道329号線だし。

   

商店街…だったと思しき場所のひとつ。
屋根のビニールシートがすっかり剥がれてます。
お店も2〜3軒かろうじて開いてるだけだった。

   

鉄骨や配管が剥き出しになってる建物も多い。
近々再開発されるという話もあるらしい。
そのときにまた来てみたいと思う。

  

“インペリア”ってどんな髪型?
“アイパー”って今でも使う用語なの?
…“ニグロ”はマズいんじゃないの?ニグロは…

   

小那覇舞天。歯科医にして沖縄漫談界の偉人。
照屋林助の師、登川誠仁とも関わりが深い。
この人の功績は絶大。

  

“みほそ(へそ)のまち”・石川市。
次回はぜひ闘牛を見に来ます!
石川と言えばやっぱ闘牛だよね〜♪

  

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