涙そうそう


 漠然と南部へと走る我々のレンタカー。糸満を過ぎた辺りから、道路の案内標識に「平和祈念公園 ○○km」というような文字が頻繁に現れはじめる。それを見て、Kがふと「じゃあ『平和祈念公園』にでも行ってみようか…」と言った。
 思えば、僕と友人Kは一緒に南部の戦跡に足を踏み入れたことが一度も無い(それぞれ別に行ったことはあるんだけどね。僕はひとりで2度ほど行ったし、Kも高校の修学旅行のときに訪れたことがあるらしいので)。意図的に避けていたわけでは無いのだけれど、僕らふたりで沖縄に来ているときには、今までどちらからも「戦跡に行こう」と言い出すことは無かった。「楽しい(?)旅行に水を差すのは相手に悪いよなぁ」という気遣いのようなものがあったせいかもしれない。
 「俺が修学旅行で行ったときには、まだ“平和の礎(いしじ)”が出来てなかったんだよね。一度見てみたいと思ってたんだよ。改装された資料館も入ったこと無いしさ」とKが言った。そうかぁ、あの戦没者の名前を刻んだモニュメント“平和の礎”が完成したのは、確か今から7〜8年前のことだったはずだ。意外と最近出来たものだったんだよね、平和の礎って。
 
 『平和祈念公園』に到着し、園内に入る。“平和の礎”を見て、Kはひとこと「スゴイねぇ」とつぶやいた。黒く輝く花崗岩の刻銘碑がズラリと並ぶ様子に、Kは少し圧倒されているようだった。
 園内にはたくさんの修学旅行生が居て、それぞれ引率者に従って見学していた。一応、みんな神妙な面持ちでガイドさんなどの話を聞いてはいるのだが…難しいよね、きっと。戦争って、どんどん遠いものになってきてるもんなぁ。いや、ホントは今の僕らは戦争ととても近い場所に居る。ただ、それを実感として捉えることが出来るかと言うと…僕だって怪しい。ましてや、過去の戦争からそれを学び取るなんて、とてつもなく難しい。せめて、今ここに居る高校生たちが「戦争は怖いなぁ。こんなふうに死んじゃうのはイヤだなぁ」と本気で思ってくれれば嬉しいんだけどねぇ。
 その後『平和祈念資料館』に入ってひと通り館内を見学し、僕らは公園を後にした。…きっと、Kも何かしら重たいものを感じていたのだろうが、彼はそのことについて何も語らなかったし、僕もあえて訊こうとは思わなかった。

 腹が減っていたので、公園のすぐ近くにある『レストラン平和園』でそばを食べることにした。僕らがそばを啜るテーブルから少し離れた席で、外国人の夫婦らしきカップルが食事を摂っていた。彼らの目には、この公園や資料館の展示物は一体どんなふうに映ったんだろうか。さぞかし複雑な思いを抱いたに違いない。戦争かぁ…何が怖いって、知らず知らずのうちに僕らがそれに巻き込まれてしまわないか、という不安。恐らく今の時代を生きている日本人のほとんどは、戦争に進んで参加したりはしないだろうと思うけど、周辺の国々の動向によっては、僕らの日常が戦争に脅かされることもすでに非現実とは言えない状況なのだろう。何だかとても不安になる。
 「う〜ん…次はどこに行こうか?」とKが訊いてきたので、僕は「いいよ、Kの行きたいところで」と答える。
 「え?俺の行きたいところ?…う〜ん…じゃあ、とりあえず北部のほうに行ってみようか」とKが言った。北部…わざわざ南部まで来て、これから北部を目指そうというのが、Kらしいといえば実にKらしい。
 「…まさか、また『万国津梁館』に行くつもりじゃないよね?」 「ハハハ、行かないよ」
 「ということは『道の駅・許田』かい?」 「行かない、と思うよ」
 「…“辺戸岬”とか?」 「…いや、どこに行くかまだぜんぜん決めてない…」
 ま、いいや。今日はとことんKのサメ・ドライブに付き合ってやろうじゃないか。
 

『沖縄平和祈念公園』。
ここに来るのは3度目。
Kと一緒に来るのは今回がはじめてでした。

  

“平和祈念堂”の白亜の塔。
中に観音像が安置されております。
ちなみに99年の旅行記に載ってます。

  

“平和の礎”の名簿検索端末。
出身地や姓名で刻銘されている位置を探せます。
何しろ20万人以上ですからね…

  

先生の解説を聞く修学旅行生たち。
少しでも考えてくれれば嬉しいなぁ。
戦争のこと、平和のこと。

  

綺麗な海と岬が一望できる。
この海が血に染まる壮絶な悲劇があった。
とても悲劇なんて言葉じゃ語れないようなことが。

  

記念の集合写真を撮る学校が後を絶たない。
「はい、皆さんカメラを見て笑って〜」
…え?笑うの?ここで?

  

“平和祈念資料館”。ぜひ一度は訪れてみてください。
手前にあるのは魚雷。
Kは何故かこれに強い関心を寄せてた。

  

公園のすぐそばにある『レストラン平和園』。
何だか不思議な雰囲気のある店(^_^;)
店内に鎧兜とかが飾ってあったり。

  

ソーキそば。あっさり味。
紅しょうが、僕は要らないんですよねぇ。
「無いとダメだ」という人もいらっしゃるでしょうけど。

  

ここは南部にある“奥武島”の辺り。
これから北部までサメ・ドライブが続くのか…
と、ちょっとブルー入ってる僕。

  

 東海岸沿いの329号線を、糸満から一気に北中城村の辺りまでノンストップで北上するK。「嗚呼、このまま北部まで単調なドライブが続くのか…」と半ばあきらめかけていた僕だったが、ちょうど“中城城跡公園”に差し掛かったところで、Kが「中城城跡に行ってみようか」と言った。ふ〜、よかった。これでとりあえず車外に出られる。

 “中城城跡”は、僕は去年の12月に一度来たことがあるが、Kは今日初めて足を踏み入れる。沖縄に数ある城跡の中でも、ここ中城城跡にはある種独特の雰囲気があって、個人的にかなり好きな城跡。僕が石壁やアーチや拝所に一々感激する一方で、Kはというと、素っ気無いぐらいにしれっと流し観するだけ。ホントにこの人は…。そうかと思えば、城の謂れや説明の書かれた案内板は熱心に読んでいる。考えてみると、Kは案外“書斎派”な人なのかもしれない、と思えなくも無い。博物館や資料館の類を見学するときにはとても熱心だし(僕なんかはサラッと流しちゃうんだけど)、案内板などには必ず目を通す。西表島の『子午線ふれあい館』でも展示物を繁々と閲覧していたし、僕だったら素通りしてしまうような施設(例:『今帰仁村歴史文化センター』)に強い関心を示したりする。
 「すいぶんと熱心に読んでるねぇ」と、案内板を読み耽るKに声を掛けると、「歴史とかには興味があるんだよね」と答える。さすがは日本史検定合格者!(何級に合格したのかは知らないけど)
 僕はというと、この城の主が護佐丸という人で、阿麻和利によって自決に追い込まれた、というぐらいのことしか分かりませ〜ん。
 僕らは城跡の中を、城壁の上に登ったりしながらダラダラと歩き回った。きっと端から見たら「コイツら何ウロウロしてんだ?何だかつまんなそう…」と映っただろう。とは言え、KはKなりに、そして僕は僕なりに中城の城跡を堪能し、次に進むことにした。

 帰り際、城跡の出入り口付近で、Kがふと携帯電話を手にして見つめる。着信をチェックしているようだ。そう言えば、今回の旅行中、Kの携帯電話の着信音はまだ一度も鳴っていない。いつもなら最低1日1回は電話が掛かって来ていたのに…さすがにこれだけウンともスンとも言わないと、かえって気になるのだろう。Kはこれといって用事も無いのに、会社に電話を掛けた。
 「あ、もしもし、Kですけど…とくに変わったことはありませんか?…はい、はい…今ですか?沖縄本島に居ます。え?こっちは天気良いですよ。…アハハ、呑んでますよ、毎晩。ハハハ…」
 端で聞いてても下らない会話だ。僕が「いい加減に切れ!」と表情でアピールすると、Kは少し名残惜しそうに携帯電話を切った。
 「まったく、どうでもいい話で長電話すんなよなぁ。時間の無駄だ!」と僕が言うのを気にも留めず、Kは今電話口に出た係長の話をし始める。
 「係長がさ、ささきくんにもよろしく、ってさ」
 「知るか!」
 「ささき、この前ウチの係長と一緒にメシを食ったんでしょ?係長がね、感心してたよ、ささきくんは…」
 「さっ!次に行こう!キミのところの係長のことなんて今はど〜でもイイことなのだ!」
 「…分かったよ〜。でも、どこに行こうか?」
 「………う〜む…」
 


“中城城跡”、もちろん世界遺産。
“今帰仁城跡”などと比べると入場者は少なめかな。
周辺に観光スポットが無いせいかもねぇ。

    

僕はかなり好きです、この城跡。
なんと言ってもこの石のアーチは素晴らしい!
さすが世界遺産!

  


石積みの城壁も趣きたっぷりです。
漆喰の壁とは一味違うこの感じ。
何だか“遺跡”って感じもするよね。

  

1440年頃に築かれたらしい。
この時代は本土も戦国時代で築城ラッシュ。
本土の同時期の城と比べてみるのも面白いかも。

  

やっぱり沖縄の城はどことなく西洋風にも見える。
ヨーロッパ辺りにもこんな城門がありそうな…
まぁ僕は西洋の城なんて良く知らないけど。

  

次第に陽が傾きはじめる中城城跡。
物悲しい雰囲気もあり。
兵どもが夢の跡。諸行無常の響き有り。

  

たぶん、沖縄名物のひとつだと思う。
コーラのような色なのにクリームソーダの味がする!
…大して美味いもんでもないけど。

  


いい天気なので、海も真っ青です。
どうせなら海に行きたいよなぁ。
中城城跡も好きだけどさぁ。

  

 結局、はっきりとした目標の無いまま僕らは北上を再開する。次第に辺りには夕方の気配が漂いはじめる。
 「そうだ、“辺野古”ってここから遠いの?」と、Kが訊いてきた。
 「う〜ん、それほど遠くは無いけど…辺野古に行きたいの?」
 「うん、ほら、海上ヘリポートで揉めてるよね。一度見ておきたいな、と思ってさ」
 というわけで、僕らは辺野古へ向かうことにした。その道すがら、僕らは海上ヘリポートのことをあれこれと話す。僕もKも、この件に関しての考え方はほとんど同じだった。「ヘリポートを建設するのは基本的に反対だけど、一概には言えない」という、まったくもって当り障りの無い意見。…でも、考えれば考えるほど行き着く先はこういう曖昧な結論に至ってしまう。これは、あの泡瀬のことにしても西表のことにしても同じだ。僕が初めて辺野古の集落を訪れたのが、99年の冬。それからこの悩ましい状況は未だにずっと続いているのだから、きっと地元の人々の苦悩も大変なことだろうな、と思う。

 辺野古の集落に着いた頃には、もうだいぶ陽が傾いていた。かつて米兵相手に賑わっていたのであろう、怪しげな横文字が踊る廃墟のような歓楽街を抜けて、僕らは辺野古の海岸に出た。
 この砂浜は、金網で分断されている。金網の向こう側は米軍の敷地だ。その金網越しに、3人の米兵が警備しているのが見える。兵士たちは、海岸に現れた僕らをじっと見ている。…ケッ、ヤな感じ。僕がデジカメを持って海を撮り出すと、さらに米兵たちは僕らを警戒しているような感じになった。僕はどうにかしてこの米兵の姿をカメラに収めたくなったのだが、とてもそんなことが出来る雰囲気ではない。
 「こんばんは〜」などとさりげなく挨拶をしてみる。と、米兵たちも一応「コンバァンワァ」と返してはくれるのだが、やっぱり警戒してるよ、この人たち…
 僕とKは、しばらく所在無く砂浜をウロウロと歩く。僕は米兵の隙を突いてカメラを向けようとするのだが、彼らの視線が僕らから離れることは、ついに無かった。
 「…そろそろ帰ろうか。だいぶ暗くなってきたし…」 「そうだね…」
 夕暮れ迫る辺野古の海は至って穏やかだったのだが、金網と米兵の存在が、この海岸を緊迫感漂う空間に変貌させていた。
 車に乗り込もうとすると、ちょうど沖縄県警のパトカーが巡回にやって来るのが見えた。堤防で釣りをしている地元の人に、何やら注意をしている様子だった。僕らはその脇を、そそくさと逃げるように走り去った。

 「あ〜!写真に撮りたかったなぁ〜!社会派の血が騒いだのに〜!」 僕は心底悔しかった。
 「いつからキミは社会派になったんだ?」とKが言う。「いつもいつもエッブリタイム!俺は社会派ジャーナリストなんだよ」 「…ジャーナリスト?」 「そう、俺はジャーナリスト」 「トラックドライバーの間違いじゃ無くて?」 「あれは世を忍ぶ仮の姿なんだよ」以下省略。
 那覇に戻る間、僕らはとりとめの無い下らない話をしながら、それでもそれぞれに今日一日のことを振り返る。
 「でも、確かに今日は珍しくいろいろと考えさせられることが多かったね」とK。「たまにはこういうのもイイね。いつもこうだと気が滅入っちゃうけどさ」
 僕は「そうだね、たまにはね」と相槌を打ちながらも、少し複雑な気持ちだった。…地元の人は“たまにはね”とは言えない状況に置かれてるんだよねぇ。いつもそれと対峙せざるを得ないわけだからさ…
 でも、そう気に病んでばかりも居られない。相変わらずKは車線変更をし損なって、曲がりたくも無い交差点を無理矢理左折させられたりする。アンタねぇ、一体何度この道を通ってるんだよ!いい加減に道の特徴を掴めっつ〜の!
 そんなこんなで、無駄に遠回りをしながら那覇のホテルに到着した。
 

3度目の登場・辺野古。
この看板の廃れ具合が物語る集落の様子。
切なくなるような集落です。僕は好きだけど。

  

集落の入り口にあるスタンド。
ヘリポートが出来たら町も激変するんだろうか。
それはそれで個人的には寂しい気もする。

    

黄昏の辺野古の海岸。
風が吹き荒んでおりました。
少し肌寒い。

  

とは言え、夕方6時過ぎでまだこの明るさ。
ホントに陽が長いよね、沖縄は。
東京辺りじゃもう真っ暗になってるはず。

  

…何だか訳が分からない写真ですけども。
右端に米兵が2人立ってるんです、よ〜く見ると。
まともに撮ると射殺されそうな雰囲気だったので(^_^;)

  

58号線を那覇に向かって走行中。
僕「う〜ん、アートしてるねぇ」
K「ただのピンボケ写真じゃん」

  

 ホテルで一服して、僕らは国際通り界隈に出た。去年はあの9・11事件の影響で、ビックリするほどの閑古鳥状態だったこの界隈だが、今年はいつもどおりに賑わっている。やっぱり夜の国際通りはこうでなくちゃね。
 …などと思いながら繁華街を闊歩していたのだが、僕はどうも調子が出ない。いつもだったら浮かれ気分で歩くこの街の喧騒がひどく鬱陶しく感じられて、何だか無性にイライラしてくる。
 たぶんこれは、僕が八重山帰りだったせいだと思う。今朝まで八重山の長閑な空気に浸り切っていたせいで、擦れ違う人の歩く速度にも、店から流れてくるBGMにも、僕はウンザリし始める。
 と、久茂地の辺りに差し掛かったときに、タクシーの運転手が僕らに声を掛けてきた。
 「おにいさんたち、旅行(で来たの)?今晩行くところもう決まってるの?決まってないんだったら、イイところに案内するよ〜」
 この手のお誘いも普段だったらサラリと遣り過ごすんだけど、この日ばかりはちょっと尋常で無かった僕。運ちゃんの言葉で僕のイライラはピークに達した。
 「うるさいなぁ!ほっといてくれよ!」
 僕が怒鳴ると、タクシーの運ちゃんもKも、呆気に取られた顔で固まってしまった。
 「行くぞ、K!」 「あ、うん…何だかささき、気が立ってるねぇ」 「何だか無茶苦茶イライラしてるんだよな、俺」 「それじゃ、さっさとどこかの店に入って落ち着こう」
 歩いている僕らに、他のタクシーの運転手が数人、さっきと同じような誘いを掛けて来たが、僕はそれらをことごとく蹴散らす。あ〜、うざってぇ!

 琉球料理の居酒屋『あかさたな』。この店は、僕らが初めて沖縄を訪れた10年前にも入ったことのある店だ。久しぶりに入ってみると、店内の様子はだいぶ変わっていた。随分と小洒落た雰囲気の店になっている。店内に流れるBGMはジャズ。赤みを帯びた照明。う〜ん、以前はもっと垢抜けない感じだったはずなんだけど…
 でも、ここの料理はやっぱり美味い。どぅる天やラフティ、チャンプルー類も僕らの口に合う。ついさっきまでの苛立った気持ちが、もうすっかり治まった。美味いものは、人の心を癒すものなんだねぇ。
 僕らの隣りのテーブルで呑んでいたのは、どうやら病院関係の仕事をしているグループのようだった。皆さん、だいぶ酒量が嵩んでいるのか、猛烈に職場批判モードに突入していらっしゃる。やれ○○先生は協調性が足りないだの、看護婦の××さんは融通が利かないだの、もう言いたい放題。よほどストレスの溜まる仕事なんだなぁ、病院勤務って…
 「でも、さっきのささきは怖かったよ。まさか怒鳴るとは思わなかったし」
 「う〜ん、俺も怒鳴るつもりなんか無かったんだけど…疲れてたのかなぁ?」
 ときどき、僕はこういうことがある。情緒不安定なのかもしれない。例えば、居酒屋のBGMの沖縄民謡が急に耳障りになったり、店員の些細な部分にムカッ腹立てたり…僕も隣席のグループ同様、ストレス貯蓄率が高いのかもなぁ…
 僕らは「ホントにこんなに頼んで食い切れるのか?」と自分たちでも不安になるぐらいに、次々に料理を注文する。だって、美味いんだもん。やがて、BGMがジャズから夏川りみに変わった。それにしても、今回の旅行では半ば呆れるほどに遭遇する夏川りみの歌声。旅行中、この人の歌を聴かない日は無かった。その人気の程を実感すると共に、やっぱり沖縄の歌が地元にしっかりと根付いているんだな、ということも思い知らされる。…個人的には、ビギンなんかも聴きたいんですけどね。
 
 『あかさたな』に閉店まで居座り、帰り際に店の名刺まで頂戴して、僕らはホテルに戻る。
 「そう言えば、明日の天気はどうなんだろう?」と、Kが言う。そうだった。明日は天気が良ければ“久米島”に行く計画になっていたのだった。すっかり忘れてました。
 「明日は少し早めに起きて、空港に行こう」 そういうKに、「大丈夫。俺はいつだって早起きだから。問題はKさんのほうだよ。毎日たっぷり10時間近く寝てるんだから…」と指摘。
 「よし、今日は早めに寝よう。じゃ、おやすみ〜」 Kは、早々に床に就いた。早めにって…まだ12時ちょい過ぎですよ、Kさん。なにもそんなに気合を入れなくてもいいんじゃないの?
 

国際通り。これまたアートしてる写真。
K「ささき、写真撮るの下手なんじゃないの?」
…なんだとぉ〜?!(図星)

      

市場本通り。そろそろ閉店する店も出る時刻。
この界隈はやっぱり面白いよね。
イイ感じにパワフルだしね。

  

僕らがオススメする『あかさたな』。
確か、牧志の市場の近くに支店もあったね。
こちらの店はちょっと分かり難い場所にある。

  


お店の人たちも親切でイイのです。
お店自体はちょっと狭いけど。
有名人のサインなども多数飾られてます。

  


ラフティ。味は濃い目。美味い。
ここの料理は結構ポイント高いと思うんだけどねぇ。
機会があったらぜひ行ってみてください。

  

那覇では毎年利用する『那覇グランドホテル』。
…あれ?「今年は民宿に泊まる」はずなのでは…
Kさん、居酒屋の看板に興味があるご様子。

    

表紙へ              前のページへ             次のページへ