ダス・ゲマイネ〜或いは自嘲する私


 朝、目が覚めた僕が真っ先にしたこと。それは天気を確認することだった。ベッドから飛び起きて窓の外を見ると、空にはどんよりとした白い雲が低く垂れ込めていたが、どうやら雨は止んでいるようだった。が、道路を見下ろすとアスファルトはしっかりと濡れていて、あちこちに水溜りもあった。昨夜はずっと雨が降っていたのかも知れない。
 テレビを点けるとちょうど朝のニュースが流れていて、程なく天気予報になった。函館の今日の天気はどんな具合なんでしょうか?…むむっ?!僕はテレビ画面を見てちょっとしたショックを受ける。
 僕に沖縄旅行を断念させた犯人・台風は、沖縄本島を避けるように太平洋沿岸沿いに進路を取って、あろうことかずんずんと関東地方に向かって北上しているじゃないか。昨日からの函館の天気の悪さも、この台風の影響だったらしい。僕はテレビの天気図に描かれた台風の“台”の文字に「バカヤロ〜!!なんでこっちに来るんだよ〜!」と罵声を浴びせた。
 …ちょっと待てよ。台風が北上してる、ってことは…まぁ、今の時点で関西辺りに居る台風が、今日のうちに函館までやって来ることはさすがに無いとしても、うかうかしてると関東地方に接近してしまう。となると最悪の場合、函館を発つ飛行機が羽田空港に着陸できない、なんていう可能性も…ちょっとマズいな。僕が予約した飛行機は、今日の夕方に羽田に着く便だ。ひょっとすると飛行機を少し早めたほうがいいかもしれない。
 ………まぁいいか。もうちょっと様子を見てから決めることにしよう。

 ホテルのラウンジに降りて、朝食を摂ることにする。1階に降りると、もうそこには花の匂いが漂いはじめる。フロントの女性のまったりとした朝の挨拶と相まって、何だかホワ〜ンとした空気に包まれる。ホワ〜ンとしたままラウンジのテーブルに着いて、コーヒーなんぞを啜りながら卓上に飾られた花を眺めたりしていると、さっきまで台風に対して悪態をついていた自分が嘘のよう…って言うか、やっぱりどう見ても浮いてるな、俺。こういう小洒落た空間にまったくそぐわない人種なのだということを痛感する。
 さて、そんなこんなしてるうちに朝食が運ばれて来た。これがなかなか想像以上に立派な食事で、ちょっと嬉しくなる。ところで、北海道の料理って、もしかして甘い味付けが多いのかなぁ?昨夜食べた『甚山』の茶碗蒸しも微妙に甘味が強かったし、立待岬で食べた焼きとうきびの醤油ダレも結構甘めだった。で、この朝食の中の野菜の煮付けがこれまたかなり甘かった。…たまたまそうだった、というだけかもしれないけど。
 とにかく、僕は朝食を済ませ一旦部屋に戻り、軽く身支度をしてすぐにホテルをチェックアウトした。雨が上がっているうちに、函館巡りを始めてしまおう。
 

花に溢れたホテルのラウンジ。
百合やら薔薇やらいろんな匂いがします。
…アロマテラピー?

  

出てきた料理はオーソドックスな和食。
しかも何気に豪華だったりする。
イクラも数の子もあるでよ〜!

  

 …とは言うものの、またしても僕は「これからどこに行こうか…」と途方に暮れてしまった。天気が良かったら、少し足を伸ばして“大沼公園”にでも行ってみようかと思っていたのだが、この曇り空ではどうも今ひとつ気乗りがしない。おまけに気温が低いし。とても7月とは思えないような肌寒さだ。昨日よりもさらに寒い。うっかりすると息が白くなっちゃいそう。
 とりあえず駅のほうへ歩いてみようかとフラフラしはじめると、不意に妙なものが視界の隅に留まった。大通りを隔てた隣りの区画のグリーンベルトの真ん中に、ヤケに白い銅像のようなものが立っている。僕はすぐさまその物体に接近してみることにした。
 その白い銅像は、なんと月光仮面の立像だった。“月光仮面”。昭和の産んだヒーローのひとり。例えそのドラマ自体を見たことのない人でも、あの「♪ど〜このだ〜れだ〜か知〜らないけ〜れ〜ど〜…」というテーマソングはかなりの認知度を誇っていることだろうと思う。「♪月光仮面のおじさんは〜正義の味方よ善い人よ〜」…どこの誰だか知らないくせに“おじさん”だと断定できるのか?というツッコミはさておき、今やヒーロー物の主人公はジャニーズばりのカッコイイお兄さんだったりするけれど、かつては“おじさん”が正義を貫く人として敬われていたわけだ。う〜ん、これって何気に父権の失墜を暗示する現象?
 余談はこれくらいにして、僕はこの月光仮面の銅像を見て「なんでこんなところにこんな銅像が?へんなの〜。爆笑!」などとひとりで慎ましやかに盛り上がっていたのだが、その台座に彫られた言葉を見て、胸を突かれるような思いになった。
 『憎むな 殺すな 赦(ゆる)しましょう  川内康範』
 台座には、そう書いてあった。川内康範という人は、いろいろとあってどちらかというと“右寄り”な人と思われることも多いようだけど、実際には日本という国の行方を案じながら、常に無益な戦いに異を唱えてきた人だと思う。それは、彼自身の戦時中の様々な経験で培われた血肉の伴った“反戦”のメッセージ。
 憎むな 殺すな 赦しましょう …「綺麗事だ」と聞き流してしまうのも容易なことだけど、今の僕らを取り巻く世界には、あまりにも真っ直ぐで胸が痛くなるような言葉のような気がする。テロリズムと戦争、正義と傲慢、ありとあらゆる犯罪と世論、政治…人は果たして憎まずに赦すことが出来るんだろうか。この途切れることの無いような憎しみスパイラルな状態の世界で。
 僕は月光仮面の前で、しばらく考え込んでしまった。出来れば僕は赦したい。赦せるように努力したい。そう思う。
 
 月からの使者・月光仮面。月光仮面のおじさんは、誰にもその正体を知られることも無く、ただ何かにじっと銃口を向けたまま、左の拳を握り締めながら立っていた。何だかその表情は哀しそうにも見えた。
 

グリーンベルトに突如現れる月光仮面。
こうして見ると極めてシンプルな格好。
イイ体してます。ボディービルでもやってるのか?

  


…なんてふざけてた俺がバカでした。
今の時代だからこそ胸に沁みるこのメッセージ。
銅像の前でしばらく考え込んでしまった。

  

 …さてと、気を取り直して函館駅に向かいますか、と歓楽街を抜ける。それにしても、函館の歓楽街は何とも言えない妙な味わい有り。チープさと頽廃的な妖しさと下世話な雰囲気が混在する、実に真っ当な歓楽街の姿が堪能できる。こういうのは、ひょっとすると港町ならではの味わいなのかもしれない、なんて思ったり。
 僕がこういう光景にやたらと惹かれる、ということは、僕の他の旅行記を読んでくださっている方だったら「あ〜もうよ〜く分かったよ」とウンザリしてるかもしれないけど(例:那覇の路地裏、コザ、横須賀など)、なんかねぇ、やっぱりこういうともすると消えてしまいそうな感じに魅せられちゃうんだよなぁ。それと、人の暮らしのちょっと生臭い部分とかね。観光地には観光地の良さがあるし、ただひたすらにキレイなものにもそれはそれでキレイだな、と感動できるんだけど…
 猥雑なんだけど寂寥としてる。濃厚なのに枯れている。…って、もう止そう。俺ってバカみたい。
 とにかく、面白いんだよなぁ、こういう場所を歩くのって。とくに昼間に。もともと夜のために作られた町が、陽の光に晒されると不思議な化学反応を起こしたふうになって、どこかおかしな世界になっちゃう。僕はそれをただ面白がっているだけに過ぎなかったりする。で、そんなおかしな気分になった記念に写真を撮ってるようなもの。それだけのことで、それ以上の意味なんて無いのだ、たぶん。
 

う〜む、この色使いと上方の看板の図柄。
ここはコザかドブ板か。
いえいえ、函館でございます。

  


もちろんジョン・レノンはこの店をご存知無かったでしょう(^_^;)
果たしてどんな店なのかもちょっと分からない。
…星条旗は…ちと違うんじゃないかと…

  


これはこれで違う味がある…よな、たぶん。
ロンドン・歌舞伎町・ワシントン。
3ヶ国同時中継で結んでおります。みたいな。

  

なんかアートしてます、この店。
どこまで意図的なものなのかは不明ですけども。
昼間に絵になる夜の店。いとおかし。

  

トタン張りの建物。
…って、何だか歪んでないか?この家屋…
ちょっと心配になってしまうんですけど。

  

大いなる謝意を表していますね。
その名も『ママの店』。
あの扉を開ける勇気があるか?!

  

『あゆの店』。まさか浜崎あゆみ?!
それとも中村あゆみ(翼の折れたエンジェル)?!
もしかして魚の鮎?

  


…まぁね、ありがちな感じ。
しかも“ナース店”。何だよ?ナース店って!
“スッチー店”や“レースクィーン店”もあるのか?

  

奥にあるのは土蔵だろうか。
何か無理矢理増築してる感じがチープで素敵です。
屋根のグリーンも効果的です。

  

店仕舞いした屋台と絶妙な曲線を描く柳。
その向こうにはデパート『棒仁森屋』。
街の裏側は絶えず妖しい輝きを放つ(?)。

   

 どこか屈折した満足感にホクホクしながら、気づくと僕は朝市に辿り着いた。何の宛ても無くここに来てしまって「どうしようか…」と少しぼんやりとしてしまったのだが、そうボヤボヤしているのも時間の無駄だと思い、まずは何か食おう、と決めた。…あの〜、ついさっきホテルで朝食を食べたばかりなのでは…?いや、気にしない!ここは北海道だ!函館だ!食い倒れの街だ!(←それは大阪)とにかく、胃袋に余裕があるうちに、あれやこれや食いまくるんだ〜!
 と、まったくトンチンカンなガッツを見せる俺様。手近にある店を幾つか物色した結果、『海峡』という店に入ることにした。
 この『海峡』という店、どうやら“トラピストバター塩ラーメン”なるメニューが名物らしいのだが、僕は敢えて“カニラーメン”を注文してみる(べつに名物に反発してるわけじゃなくて、ただ単にバターの量が多い塩バターラーメンが苦手なだけなんです)。
 しばらく待っていると、何やらスゴイ料理が目の前に登場した。かなりデカいラーメンどんぶりから、ニョキっとはみだしたカニ足。味噌ラーメンの上にカニの右半身がド〜ンと乗っかっていた。う〜む、これは…
 僕はまずカニの足から食べ始めたのだが、すぐに「ハッ!こんなことをしてたらラーメンが伸びてしまう!」という現実に気づき、カニ足は後回しにしてラーメンから片付ける作戦に変更した。…ラーメンの量が多い。ついついカニに気をとられてしまって肝心のラーメンの存在が希薄になってしまっていたのだが、これがかなりの強敵だった。スープの中に潜んでいたのは、たっぷりの太麺。これが腹に溜まる。麺を食べ終わった段階で、僕は思わずため息をついてしまった。が、カニを残すわけにはいかない。半ば義務感のようなものに苛まれつつ、僕はカニを穿(ほじ)ったり啜(すす)ったり噛み砕いたり、何だかカニ食いマシーンみたいになって、ようやくすべてを胃袋の中に収める。
 …美味かった、のかな?あれ?何だか味が分かんない…冗談ではなく、とにかく目の前にあるものを食べ切ることに気をとられすぎて、食べ終わった瞬間に僕はホントにこのラーメンの味をすっかり忘れてしまった。こんなことは生まれてはじめて!
 食べ尽くした満足感と、味わうことをかなぐり捨ててしまった虚しさがグルグルと脳内で渦巻いていたが、とりあえず店を出た。
 …でも、不味かったらこれほど夢中になって食べることも無かっただろうし、きっと美味かったんだよな、そうだよな、きっと。
 僕は自分に言い聞かせ、納得することにした。何しろここは函館だ。食い物は美味いに決まってるんだ。……虚しぃ〜!!
 
 恐らくこのとき、僕は函館一バカな観光客だったろうと思う。そんなバカな僕は、自分の馬鹿さ加減に軽いショックを受けながら、やや覚束ない気分で朝市をほっつき歩いた。
 朝市は、昨日以上に活気に溢れていた。思えば、昨日ここを訪れたときは、もうそろそろどこの店も店を閉めようかという時間帯だったのかもしれない。やっぱり“朝市”というからには、その本領を発揮するのは朝なのだね。などと当たり前のことを考えながら、激しく声を掛けて来る店の人々をことごとく無視しながら、僕はちょっとした夢遊病者のように朝市をぼんやりと通り過ぎる。
 せっかく朝市に来たっていうのに、結局何も買わないでやんの。つくづく俺ってバカなんじゃないの?!
 


再び朝市へ。
たくさん食堂があるのでどこに入ろうか迷う。
たぶん当たり外れはそれほど大きくないとは思うけど。

  

海鮮料理だけじゃなくて、いろいろ食べられます。
でもここに来たらやっぱり魚介類を食べたいよねぇ。
函館朝市でカツ丼食うのもなんだかねぇ…

  

で、結局この店に入ることにしました。
“塩ラーメン”の幟(のぼり)が颯爽とはためいている。
きっとこの店自慢の一品なんだろうね。

  

…だというのに何故か海鮮味噌ラーメンを頼む僕。
これ、美味いんだろうけどかなり食べづらい。
カニに没頭するとラーメンが伸びちゃうし。

   

市場に彩りを与える茹でガニのレッド。
その左隣にはメロン。
普通は一緒に並んだりしないよね、このご両人は。

  

メニューを見るだけで思わずヨダレが…
しかも定食にはすべて“カニ汁付”!
…あれ?上のほうに“カニ専門店”って書いてないか?

  

お腹がカニでいっぱいになったら、あなた自身もカニになっちゃえ♪
でも、どうして胴体が板前さんなんだろう?
“ロマンの街”…カニ+板前さんと化するのもまたロマンか。

   
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