日焼け顔で出勤、その傾向と対策
多良間島・後日談


 …さて、東京に夜遅くに戻ってきて、僕は大急ぎで家に戻った。
 そして、落ち着く間もなく自分の車に乗り込み、家から少し離れたコンビニまで全速力で移動する。
 わざわざ“家から少し離れたコンビニ”を選んで行くのには理由(わけ)があった。それは―― 「化粧品を買う」という、極めて異常な行動を取ろうとしていたからだ。
 最近では、コンビニでちょっとした化粧品が売られているのは知っていた。華原朋美だって「コンビニってステキ!生きてるってステキ!」とCMで言ってたし。でもまさか、自分がそれを買うことになるなんて、予想だにしていなかった。
 僕の目当ては、ズバリ、顔に塗るファンデーションだ。多良間島ですっかり日焼けしてしまったこの顔で会社に行くのはマズい。何しろ、どういうわけか、この4日間僕は“病気の父親の看病をしていた”ことになってしまっているのだから。
 とにかく、顔の日焼けが冷めるまでとは言わない。会社に居る人たちの目が慣れるまでの間だけでいい、この小麦色になってしまった顔面を誤魔化しきらなければなるまい。

 僕は、車で20分ぐらい行ったところにある、普段利用したことの無いコンビニを適当に見繕い、そこに飛び込んだ。
 「いらっしゃいませ、こんばんは〜」
 若い男性店員がマニュアル通りの挨拶をしてくる。そんなのは無視して、僕は空かさず“コスメティック・コーナー”に直進。
 …しかし、一体どれを買えばいいのだろう?ファンデーションが3種類ぐらい並んでいる。『普通の肌色』と『明るい肌色』に果たしてどれほどの差があると言うのか…?こればっかりは、普段使わないものだし、さっぱり見当もつかない。
 僕は、しばらく悩んで、結局『明るい肌色』を選ぶことにした。とにかく顔を白くしなければ!もともと僕はどちらかと言えば色の濃いほうではないので(ときによっては顔色が悪く見られたりもする)、きっとかなり『明るい肌色』になっても、問題ないだろう。
 サッと『明るい肌色』のファンデーションを手にして、レジに差し出す。店員は、さすがに一瞬「えっ?」という表情を見せたが、とくに咎めることもなく(当たり前か)、精算をした。僕はコンビニのポリ手提げに入れられた『明るい肌色』を奪い去り、逃げるようにして外へ出た。

 家に戻り、かなりドキドキとしながら、さっそく“試し塗り”を敢行。「男が化粧する」ということ自体は、恐らくいまどきそれほど特別なものじゃないのかもしれない。しかし、化粧はおろか眉毛だって剃ったことのない僕にとって、これは非常に気が引ける行為だった。しかも、これって思いっきり女性用の化粧品だし…
 コンパクトを開き、鏡を覗きながら、えらく小さな四角いスポンジ状のものにファンデーションをなすり付け、頬のあたりにスゥ〜ッと一筋滑らせてみる。…おお〜!案外自然に見えるじゃんか!心なしかちょっとマイケル・ジャクソン風な人口的な白さに見える気もするが、よほどマジマジと顔を見つめられたりしない限り、何とかこれで誤魔化せそうな気がする。…一応、顔全体にちゃんと塗ってみよう。………う〜ん、美白♪って言うか、何だか怖いな、コレ…「自然な白さ」を超えて、「具合の悪い人」みたい…でも、まぁいいか。日焼けした顔で会社に行くよりは、こちらのほうが「ちょっと看病疲れ」っぽくて、説得力があるかもしれない。
 とりあえず、これで数日間は何とかやっていくことにしよう。…あ、でも、仕事中に化粧が落ちちゃうと、それこそ恐ろしいことになってしまう。…このコンパクト、常備してないといけないなぁ。で、適度に化粧直ししなくちゃな。しかし、まさかこんなものを持って出勤する日が来るなんて、微塵も想像したことは無かった。しかも、“化粧直し”のことを危惧するハメになるなんて…

 …もう寝よう。あ、その前に化粧を落とさなくちゃな。僕は風呂場に行って、水でバシャバシャと顔を洗う。…なにコレ?化粧がぜんぜん落ちないじゃん。落ちないどころか、ファンデーションが水を弾いてしまっている。僕はあせって水をお湯に切り替えて、顔の皮が擦り切れるんじゃないかというぐらいの渾身の力を込めて洗顔。さらに、普段使っている洗顔料でゴシゴシと顔面を擦る。何とか化粧は落とせたのだが、洗顔後の自分の顔を見てギョッとする。あまりに強く擦り過ぎたせいで、日焼けした顔の皮膚がところどころホントに擦れ落ちてしまっている。僕の顔は、日焼けで黒くなった部分と、その皮が剥がれ落ちた白い部分とで、気味の悪いツートンカラーになってしまっていた。
 イヤになるなぁ〜、これじゃあますます素顔で会社に行くわけにはいかなくなってしまった。それに、これから毎日、こんなふうに力任せの洗顔をしなくちゃいけないなんて…やっぱり“クレンジング何とか”とか、そういうのが必要なんだろうか?でも、そんなの買うのもったいないしなぁ…仕方なく、僕は憂鬱な気持ちで床に就く。

 さて、翌日(って言うか、厳密には“化粧と格闘”している時点ですでに日付が変わってたんだけどね)。
 僕はバッチリとメイクを施し、会社に出勤する。職場に入るといきなり、例の人のいい上司がやって来た。
 「お〜、ささき!」
 「あ、ホントにどうもすみませんでした。みんなに迷惑お掛けしちゃって…」
 「いいよ、こういうときはお互い様だ。…何だか少し顔色が悪いな、オマエ」
 やっぱり来たか!僕はあまり上司が僕の顔をじっくりと観察できないように、無意識のうちにうつむき加減になってしまう。すると、
 「…そんなに状態が悪いのか?お父さん」と、上司が言いはじめた。
 「あ、いえいえ、父親はぜんぜん問題ないですから。…ホントにどうもありがとうございました」と、僕はお礼を言いながら、上司のそばを離れようとした。これ以上、この人のそばに居るのは心苦しいし、特殊メイクがバレちまう。
 「ああ、あまり無理はすんなよ。何だか疲れてるみたいだしな」
 …申し訳ないです。ホントに申し訳ないです。いろんな意味で…
 「でもな、これで少し出勤が長くなっちゃうぞ。休みを無理矢理くっつけたりしたからなぁ。ちょっと辛抱してくれ」
 そんなことはまったく気にしないでOKです。そりゃ仕方が無いですし。

 幸い、僕の仕事は外回りがメインなので、あまり職場の人と長い時間、顔を合わせなくて済む。これには実に救われた。そうでなかったら、さすがに僕の化粧はバレていたに違いない。遠目に見るだけでは気づかないとしても、ジ〜ッと見ればすぐに分かる。
 でも、この僕の“特殊メイク”は、友人Kにはバレバレだった。
 廊下でKと擦れ違ったとき、空かさずKが「…顔色がヘンだよ、ささき…あ!ひょっとして、沖縄に行ってた?」
 なぜこの男が、これほど察しがいいのか。それは、実は以前にも似たようなことがあったからだ。
 数年前、宮古島に行って日射病で大変な目に遭うほど日焼けした僕は、今回以上に“気味の悪い顔”になってしまったのだ。日に焼けて茶褐色になった皮膚が剥がれ、まるで垢(あか)のようにボロボロとなり、僕の顔はまるで“しばらく洗ってない換気扇”のような感じに成り果ててしまった。
 「これはちょっとしたケロイド状態じゃんか!こんな顔で外回りなんか出来ないよ〜。…そうだ!顔を黒く塗るものを買おう!Kよ、悪いんだけど、ちょっと買い物に付き合ってくれない?」
 僕とKは、“顔を黒くするもの”を求め、国際通りやマチグヮー(市場)を彷徨ったのだ。結局、そんな都合のいいものは見つからなかったんだけどね…
 ―― というようなことがあって、Kは僕のメイクを見破ったのだった。
 「あのさ、これは会社の人には内緒にしててよ。かくかくしかじかで、俺は化粧をせざるを得ない状況に追い込まれたんだから」
 僕はKにこの経緯(いきさつ)を簡単に説明した。Kはゲラゲラと笑っていた。…この男はいつも僕の不幸を笑う。バチが当たるぞ!
 「しかし、そんなことをホントにやっちゃうってのは、きっとニイサンぐらいだよ。相変わらず大胆不敵だね、ささきは」
 「大胆不敵な人間が、化粧なんかするか!これは世界一姑息(こそく)な行動じゃないか!我ながらマジで情けないよ…」
 
 そんなふうにして、僕は何とか周囲の人々を欺き通すことに成功した。
 もともとメラニン色素が少ないと思われる僕の場合、日焼けが冷めてくるのも早いほうなので、化粧は4日間程度続けるだけで済んだ。最初の頃は覚束なかったが、次第に慣れた手つきになってきて、「もうちょっとナチュラルメイクなほうがいいかな…」などと、塗る量を調整することすら可能なほどに成長した。「トニー田中のように、ぼかし込んでぼかし込んで…」とか言いながらね。
 よく「化粧はクセになる」とか言うけど、幸いそういう困ったクセは身につかなかったようだ。本当によかったと思う。
 思い切って化粧をしないで出勤した日、僕の顔を見て例の上司は言った。
 「お、今日はすいぶんと顔色がいいな。だんだん顔色が良くなってきてるぞ、ささき」
 …当分、この人には頭が上がらない日々が続きそうだ。僕はそう思った。