八月踊りに見る多良間
多良間・ニ日目・その2


 島の外周道路を走って行くと、『宮古市の森』という場所に着いた。ここには展望台らしきものがあって、多良間の海を一望できる。…でも、正直言って今は海など大して見たいと思えない。どうせ台風で荒れてるんでしょ、海。
 とは言え、やっぱり目の前に海があるとなると、ついつい見に行ってしまうのは悲しい性(さが)。僕は風の舞う砂浜に出て、しばらく寂寥とした気分で海を眺める。
 …風はやっぱり強い。でも、微妙なんだよなぁ。飛行機が飛ぶか飛ばないか、はっきりと分かるような風じゃないんだよ〜。この曖昧さが僕にヘタな期待を持たせてしまう。「ひょっとすると飛行機は飛ぶんじゃなかろうか?」なんてさ。
 ま、でもイイや。今日はとりあえず飛行機のことは心配しないことにしよう。明日の最終便までには、何とか天気が好転していることを祈ろう。って言うか、好転してくれなきゃ困る。
 

島の西海岸から見た海。
きっとスッキリと晴れてればキレイなんだろうけど。
台風が接近してちゃあなぁ…

  

『宮古市の森』の近くにある海岸。
何か板で出来た御簾のようなものが建て掛けてある。
ここには“報恩の碑”などもあります。

  

いまいち冴えない色具合だけど、水の透明度は高い。
さすがは離島の海!って感じだ。
浜にはビーチパーリーの跡もあったりして。

  

“多良間空港”はもう店仕舞い。
運航状況を確認しようかと思ったのに…
何もシャッターまで下ろさなくてもいいのに…

  

空港の前にあった多良間島マップ。
結構詳細で分かりやすい。
ただ、持ち歩けないのが致命的(^_^;)

  

島の西側に建設予定らしいです。
島の交通の便がよくなるのはいいんだろうけど…
海には影響が出ないのかが、少し気がかり。

  


各地区に立っている看板(?)。
その地区ごとの特徴を図解してる…みたい。
しかし、一体誰のために?

  

 さて、外周道路から集落の中に戻ってみる。と、『塩川御嶽』に辿り着いた。
 この御嶽には、まるで参道のようなフクギ並木がある。辺りはシ〜ンと静まり返り、なにやらひどく厳かな雰囲気だ。
 僕が並木をくぐって、御嶽の鳥居の前に近づくと、鳥居の奥はまるで森のようになっていて、その手前に拝殿が清楚に建っていた。拝殿の前には何人か人が居て、何とも不思議な空気がそこいらじゅうに漂っていた。
 と、僕の気配を察知して、拝していたオバァはこちらを振り返った。僕は何故か「ヤバい!」と思い、慌ててその場を立ち去った。すみませ〜ん、拝してるところを邪魔しちゃいまして…
 しかし、やっぱり沖縄の“御嶽”って、偉く神聖な感じがする。「島の人以外は迂闊に侵入しちゃダメ」とか、そういう頑なに信仰を守る部分が、単なるエピソードのひとつじゃない、ってことを痛感する場面にしばしば出くわす。それがまた沖縄の魅力だし、と同時に僕が沖縄に対して畏怖を抱く一因でもある。
 例えば、久高島や大神島。久高島は、実際に行ってみると案外フレンドリーな感じでとっつき易い島だったりするのだけど、大神島は…一度は行ってみたいんだけどね、大神島にも。でも、あの島って、“島がまるごと聖域”みたいになっているらしいし。島の入り口にいきなり鳥居が立ってるらしいし。「進入はおろか写真撮影すら禁止」という場所も多いと聞くし…敷居が高いよねぇ、そういう話を聞くと。
 でも、いつか絶対行ってみようと思うのだ、大神島にも。久高島だって“神の島”と云われているけど、島の人はみんな親しみやすかったし。

 …なんか、罰当たりって気がする。まぁ、僕の罰当たりぶりは今に始まったことじゃないけど。
 

『塩川御嶽』に続く道。
フクギ並木が連なる、風情溢れる道。
この道をずんずんと進んで行くと…

  


『塩川御嶽』。
鬱蒼と生い茂る森の中にある、荘厳な御嶽。
中で拝している人が居ました。

  

フクギ並木って、何だか不思議な雰囲気がある。
辺りを包む静けさと相まって。
木洩れ陽が作り出す光陰のコントラスト。

  

 集落の中心部のほうに戻って、仲筋集落のほうに適当に車を進めて行くと、『多良間島ふるさと民俗学習館』に行き当たった。今の時刻は…もう4時だ。ここの開館時間は…5時までかぁ。あまり時間が無いけど、ちょっとだけ寄ってみよう。
 入り口から中に入ると、館内の照明はほとんど消されていた。…ひょっとして、もう閉館しちゃったのかなぁ?僕が恐る恐る受付けに近づくと、中からおじさんが出て来て「あ、いらっしゃい」と言って、照明を点けてくれた。
 「すみません。もう閉める時間でしたか?」と僕が詫びると、おじさんは「いやいや、お客さんが居ないときは電気を消してるだけですから」と言って、付きっ切りで館内の展示物を、それはそれは時間を掛けて丁寧に解説してくれた。
 僕は途中で気になって、「あの…閉館時間は大丈夫なんですか?」と訊ねたのだが、おじさんは一向に気にも留めず、ひとつひとつ詳しく説明してくれた。僕も調子に乗って、おじさんにつまらないことを質問しまくった。
 この『ふるさと民俗学習館』の展示資料は、“八月踊り”にまつわる資料や道具などを集めた部屋と、多良間の農具や漁具、生活用具などを展示した部屋に分かれている。どちらの展示物も決して強烈なインパクトのあるようなものでは無いのだけれど、とにかくおじさんが丁寧に説明してくれるので、その説明を聞きに行くだけでも、ちょっとした価値があると僕は思う。こちらがどんな質問をしても、おじさんはしっかりと答えてくれる。出方次第ではかなり充実した時間を過ごせるはずだ。

 入り口付近に、昔の子供の遊び道具が展示されていて、その時点ですでに相当時間を掛けて説明してもらう。藁や竹で作られた素朴な遊具―― 例えば凧とか水鉄砲とか―― を見たり触ったりしながら、あれこれと話す。
 「でも、今の子供もこういうので遊んだりしてるんですか?」
 「いやいや〜、遊ばんですよ。今の子供は…ほら、テレビゲームみたいなものですか?あんなので遊びますからねぇ」
 …このご時世、何処の子供も同じなわけね。
 「…でも、そういうゲームを売ってるお店なんて、島には無いですよねぇ。どこかに出かけて手に入れるんですか?」
 「そうねぇ。宮古とか石垣とか本島とか。自分で親と一緒に行って買ってもらったり、親が用事で出掛けたときに頼んで買って来てもらったりしてねぇ。飛行機も、島民は安く乗れるんですよ。だから案外みんな気軽に島を行き来しますから」
 えっ?そうだったのか!知らなかった。島の人は航空費が安いのか!あ、そう言えば、本島のリゾートホテルなんかにも“ウチナンチュ料金”が別に設定されてたりするもんなぁ。
 
 そして“八月踊り”の展示資料―― とにかく絢爛な衣装がとくに印象に残る祭り、って感じだったのだが、この彩りの鮮やかな衣装が、実は厚紙や色紙で出来ているというのに、かなりビックリした。間近で見ると、かなり“手作り感覚”なものだったりする。衣装だけじゃなく、小道具(軍配や武具の類)もほとんど厚紙。まさしく“張りぼて”な世界なのだ。
 なんでも、これらの衣装や小道具を作る担当の“スタフ座(支度座)”という人達がいるらしい。

 ここで、ちょっとだけ“八月踊り”講座を。あ、でも、これは僕が学習館のおじさんに聞いた話を覚えている範囲で書いていることなので、ひょっとすると微妙に間違ってたりするかもしれないので、そこんとこヨロシク。
 “八月踊り”は、前にも書いたとおり、“仲筋集落”と“塩川集落”に分かれて運営されている。で、それぞれの集落ごとに“座”という組織を組んで、祭りまでの準備と管理をしているらしい。
 踊りや寸劇などを演じる人達の座(“組座”とか“獅子座”とか“狂言座”とか)をはじめ、音楽を担当する“地謡座”、経理を司る座など、きちんとした役割分担がなされている。基本的には、みんな一度は“踊り”の経験をして、その後、“地謡座”や“スタフ座”になっていくらしい。だから、「私は最初から小道具担当です」という人は居ないのだそうだ。「踊りを引退した人が“スタフ座”になるんですよ」と、おじさんが言ってたから、たぶん間違いないと思う。
 その肝心の“踊り”なんだけど、これには多良間で産まれた踊りと、沖縄本島(首里王朝)から伝わってきた古典踊り、のふたつの踊りがある。
 もともとは地元の人々の“奉納踊り”(その年の収穫の終わりと翌年の豊作を祈る踊り)だったところに、本島から“古典踊り”が入ってきて、もともとの踊りは民衆が、古典踊りは士族が、というふうにそれぞれが分離していったのだそうだ。
 30年ぐらい前までは、この“八月踊り”は男性だけで踊られていたらしい。“女踊り”などの女性役も男性が踊っていたわけだ。言ってみれば歌舞伎みたいな感じかな?もちろん今では女性も参加してるけどね。
 
 多良間独特の踊りは、“棒踊り”(棒を持って踊る、ってそのままじゃん)や“獅子舞”など。ある意味「踊りらしい踊り」が主。
 一方の古典踊りのほうには、一応ちゃんとした台本があって、その物語に沿って“組踊り”や“女踊り”が繰り広げられる。で、この台本は、それぞれの集落に2本づつある。つまり、全部で4つの物語が演じられるわけだ。ただし、4つの物語はぜ〜んぶ“仇討ち話”。要するに“沖縄版・忠臣蔵”ってな趣き。…これにはちょっと驚いた。とくに仲筋の『忠臣仲宗根豊見親組』という踊りなんて、ラストではしっかり敵役の首をはねるシーンまで出てくる(塩川のほうは捕らえて終わりなんだけど)。
 この“仇討ち話”が“八月踊り”のメインになっている。“八月踊り”のすべての演目が上演される時間が8〜9時間(長い!)。そのうち“仇討ち話”が3〜4時間を占めている。台本自体はすごく単純明快な、そのまま普通に演じてしまえば1時間も掛からないようなストーリーなんだけど、それを踊りで見せていくわけだから…そりゃ時間が掛かるわなぁ。
 僕はちょっとだけビデオを見せてもらったんだけど、踊りそのものは案外素朴、というか、結構雑な感じ。組踊りも、本島のそれの優雅さや格調のようなものはあまり感じられない。見るからに“村の芸能”っていう雰囲気が漂っていて、それはそれで面白かったりする。
 
 さて、そういったことを懇切丁寧に教えてくれる(何しろ2時間弱も!)おじさんとの話で、多良間の子供のほとんどが、小学校を出ると本島の学校に進学するという話を聞いた。近くにある宮古島や石垣島に行く子はあまり居ないらしい。…確かに、宮古や石垣じゃ、選択肢が狭いもんねぇ。
 「でも、この“八月踊り”のときには、ほとんどの子が多良間に帰ってくるんですよ。何しろ貴重な踊り手ですからね。みんな自分が祭りを支えているという自覚がありますから」
 なるほどねぇ。多良間の人々を繋ぐ役割をも図らずも果たしているわけか、“八月踊り”が。
 「島を離れてしまった人が、このときはみんな帰ってくる。だから多良間の人にとって、この“八月踊り”は何よりも大切な行事なんです」
 僕は、そういうおじさんの言葉と、ビデオで見た素朴な踊りを重ねてみた。なんだかとてもジンと来た。
 
 一方、農耕具や日用品などが展示されている部屋も、それぞれ説明を聞いていると結構面白い。「昔の人の知恵って、やっぱりスゴイよなぁ」と感心しきり。創意工夫は逆境が産む、って感じだねぇ。
 ところで、ここには“葬儀用具”も展示されている。遺体を運ぶ輿(こし)のようなものや、骨を入れる甕(かめ)とか…ここで、僕はふと気になったのでおじさんに質問してみる。
 「多良間もそうですけど、離島って、火葬場が無いところが多いですよね。どこか遺体を焼く場所っていうのがあるんですか?」
 「いえ、多良間は今でも土葬なんです。火葬場の無い島は、大抵は土葬ですね」
 今さらながら、改めて「ああ、やっぱり…」と思う。今までちょっと気になっていたことだったのだ。でも、島の人にいきなりそんなことを訊くわけにはいかないし…
 その後、しばらく僕とおじさんは、土葬のことや風葬のこと、お墓のことや島の葬儀のことなどを話した。去年、久高島に行って以来、そういうことに非常に関心をそそられている僕。あまりに僕があれこれと質問するので、おじさんから「あの、あなたはひょっとして民俗研究か何かされてる人?」と言われてしまった。いやいや、僕はただそういうことに興味のある、ちょっと趣味の悪い観光客でございます。
 
 展示資料を見終わったのは、もうそろそろ7時になろうかという頃だった。ムチャクチャ密度の濃い時間を過ごさせてもらって、僕はおじさんに感謝した。
 「いつお帰りになるんですか?」
 「はぁ…ホントは今日帰る予定だったんですけど…明日、飛行機が飛べば…」
 「そう。…たぶん無理じゃないかな。気の毒だけど…」
 「……」
 「明日、帰れないようだったら、また来るといいよ。そしたらもっとちゃんと“八月踊り”のビデオを見せてあげるから」
 「……ははは、そうですねぇ、そのときは…」
 「どこに泊まってるの?」
 「あ、『ちとせ旅館』です」
 「あ〜、あそこね。あそこは僕の親戚に当たるんですよ。あの宿は食事の量が多いでしょ?多良間で一番食事の量が多いところですよ。あのおばさん(民宿の女将さん)は、食事を残すといやがるよ。残さないで食べないとイカンよ〜。アッハッハッハ」
 僕はおじさんに別れを言い、宿に戻った。

『ふるさと民俗学習館』です。
職員さんが詳し過ぎるぐらい解説してくれます。
おかげですっかり多良間博士!(←勘違い)

  

『民俗館』の資料より引用。
“八月踊り”に使われる兜。カラフル!
しかし、これが紙で出来てるなんてねぇ…

  

これも資料から引用させていただきました。
絢爛な衣装や冠。でも、実は結構チープな素材だったりする。
まさに島のみんなの手作り!

  

 『豊見城商店』に車を返した。料金(確か\4,000ぐらい)を支払って、僕は旅館に戻った。
 宿では、すでに他のお客さんが夕食を摂っていた。…相変わらず、静まり返った食卓だった。今朝にも増して、倦怠感のようなものが部屋中に溢れていた。
 と、僕の隣りに居たウチナンチュの青年が、小声で僕に話し掛けて来た。
 「明日も飛びませんねぇ、飛行機…」
 「えっ?やっぱり飛ばないんですか?!」と訊き返す僕。
 「3便までの欠航は決まったみたいですよ」
 「3便…じゃあ、最終便はどうなんですかね?」なにしろ僕が予約しているのは最終便なのだ。そこが何より肝心だ。
 「最終便は、明日の昼頃にならないと決まらないみたいですよ」
 …う〜む、マズいなぁ。また会社に連絡しなくちゃならないじゃんか。しかも、明日になってから…さっきまでの『学習館』での充実した気持ちが一変にして、またしてもどんよりとした暗雲が胸にたち込める。
 「キャンセル待ち番号、何番ぐらいですか?」と、青年が訊いて来た。
 「へっ?キャンセル待ち番号?」僕は訊き返してしまった。何それ?
 「一応、明後日の最終便の予約は入れておいたんですけど、少しでも早い便で本島に戻りたいので、一応キャンセル待ちもしてるんですよ」
 「明後日の予約?…あ、そうか、明日の便が飛ばないから…でも、僕は明日の最終便に予約入れてるんですよね。ひょっとすると飛ぶかもしれないし…」
 「でも、明後日の飛行機も、もう予約でほとんど満席らしいですよ」
 ガ〜〜〜〜〜〜〜ン!!そうか!明日の最終便が飛ばないとなると、当然その翌日の飛行機で帰らなくちゃいけないわけだ。ところがその明後日の飛行機がすでに満席だったとしたら…マズい!!これは非常にマズい!!
 僕はとっとと食事を済ませて、外の公衆電話に飛びつき、JTAに電話した。
 「明日の最終便がもしも飛ばないとすると、その後の便の予約を入れるとしたら…」
 「はい…7日の多良間出発便まで、すべて予約が入ってますねぇ…」
 再びガ〜〜〜〜〜〜〜ン!!7日まで?!じゃあ、早くても8日にならないと帰れないってことか!
 「キャンセル待ちをするしかありませんねぇ…」
 僕は、泣きそうな気分で電話を切った。どうしよう…キャンセル待ち。でも、いずれにせよ僕が空港の前を通り掛ったときには、もうすでに空港のシャッターは降りてたし…
 僕は絶望感に打ちひしがれつつロビーに戻る。と、例の取材で来ているらしい女性と、民宿のおばちゃんが話しているところに出くわした。 
 「ああそう、良かったねぇ。キャンセル待ちが“3番”だったら、明後日には何とか帰れるんじゃないの?」
 「はい。明後日に飛行機が飛んでさえくれれば…今朝、空港の人に訊いたら、もう“30番”までキャンセル待ちしてる人が居るらしいですから…」
 またしてもガ〜〜〜〜〜〜ン!!さ、30番?!…無理だ。こりゃ絶対無理だ。「命運尽きた」とは、まさにこのことだ。僕はすっかりトドメを刺され、頭がガンガンするほどのショックを受けながら、部屋に戻った。
 …何だか、とてもシラフでは居られない気分だった。僕は『豊見城商店』に赴き、そこでビールやら何やらを買い込み、部屋でガブガブガツガツと、ほとんどヤケ酒ヤケ食い状態でそれらを貪(むさぼ)った。
 絶望感は、やがて根拠の無い怒りへと変化していった。とてつもない不安と、諦念と、怒り。それがお互いに出ては引っ込みを繰り返す。何か、悪いクスリでもやってるかのような状態。
 ………気持ちワルい。酔いと満腹感で吐きそうなほど気分が悪い。もう寝よ。
 蒲団に入ってはみたものの、そんな状態で眠れるはずもない。僕はロクに眠れずに、3日目の朝を迎える。
 


沖縄らしい商品。でも“無果汁”だよ…
味は「ちょっと苦味のあるレモン」って感じか?
…そういう意味では、かなりシークァーサーに近いかも。

  

多良間の名物・ぱなぱんびん。
少し塩味が利いたポリポリとした素朴なお菓子。
甘味はほとんど無いので結構たくさん食べられる。

  
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