モルタルの迷宮
 

 “玉ノ井”を御存知でしょうか?いや、たぶん御存知無い方が多いかと思いますが…と言うのも、最早“玉ノ井”という街は存在して居りませんのでね。
 玉ノ井…かつて“花街”と呼ばれた地域。花街というと今では花柳界とか芸妓・舞妓といった華やいだイメージ(京都に代表されるような)を象徴する言葉かも知れないが、玉ノ井界隈のそれは、はっきり言ってしまえば“赤線”、つまり売春窟だった。有名な永井荷風の『墨東綺譚』でこの玉ノ井が登場するが、実際の玉ノ井はあの小説のような場所ではなかったらしい。もっと生々しく卑しい場所、として存在していた。…まぁ、何しろ赤線ですからねぇ。
 それはともかく、こういった場所には独特の匂いがあって、それをこの上なく好むのが僕の悪癖(横浜・黄金町しかり、那覇・栄町しかり、横須賀・安浦しかり)。べつにそういう場所でそういう行為をするのが好き、な訳じゃ無くて、そういう場所を歩くのが好きなだけだけどね、念のため。そもそも赤線や廓にロマンを描くのは、ある意味男のエゴだとも言える。もっとも僕は、そういうものに“ロマン”を感じはしないし。ただ、こういった場所に漂っている雰囲気はとても好きだ。人が集まって“街”が形成されるとき、どうしても産まれてしまう暗部、或いは歪(ひず)み。それを「無いことにしてしまおう」とする現在の街の在り様はとても不自然だし、かえって歪みを深刻なものにしてしまう。光あるところには、必ず影が出来る。その影の部分と上手に折り合いをつけてこそ、本当の“街”として機能するのではないか。
 …どうでもいいか、そんなことは。実は僕がこの界隈を歩いてみたいと思ったのは、べつにそんな大層な理由からでも何でも無くて、単純に「路地裏散策」をしたかったから。今から10年近く前に一度この辺りを歩いたことがあったんだけど、そのときは途中で酷い雨に見舞われてしまって散策どころじゃなくなり、とっとと東向島駅に逃げ込んでしまったのだった。今回はその雪辱(?)を晴らすべく、じっくり時間を掛けて路地裏を歩いてやろう、というだけのこと。

 東向島駅から“玉ノ井いろは通り”という商店街に向かう。今では玉ノ井の名を残しているのはこの商店街と町会のみ。商店街そのものは、とくにこれといって変わったふうでも無い感じなのだが、店の切れ間切れ間に俺様を誘うような路地がある。で、その路地に入ってみると…クネクネと曲がり、他の路地とぶつかったり繋がったり、とにかく入り組んでいる。その辻々を闇雲に曲がったりしていると、次第に方向感覚が狂って来る。…そう、ちょうど沖縄・那覇市の“スージグヮー”を歩いているときと同じような状況に陥ってしまうのだ。だいぶ歩いたと思っていたら、結局出発点に戻って来てしまったりと、そんなことを繰り返して…我ながら馬鹿だと思う。
 この路地裏には、もう今はマンションや立派な家がどんどん建っている。が、そんな中にもかつての娼館を彷彿とさせるモルタル造りの家屋や木造家屋がしっかりと残っている。もちろん、これは僕の勝手な想像でしか無いんだけど。
 入り組んだ路地は、警察の手入れから逃れるには打って付けの迷路だったそうな。また、うっかりこの街に入り込んだ人がそう簡単には抜けられないように、つまり客引きするのにも有利な構造だった。まさしく飛んで火に入る夏の虫状態ってわけね。
 そして、もうひとつ。“玉ノ井バラバラ事件”。昭和7年、お歯黒ドブという下水溝の中から男のバラバラ死体が発見された、という猟奇な事件。この事件そのものもかなり嫌な気分にさせる話なのだが、それよりもさらに印象的なのが、この“お歯黒ドブ”なるもの。その名のとおり、下水溝を流れる水はお歯黒のように真っ黒でメタンガスが発生するような汚水、しかも犬猫の死骸、さらには娼婦が避妊できずに産んだ赤ん坊の死体までもがこのドブに呑まれていたらしい。…凄いよねぇ。
 荷風の描いた玉ノ井と、実際の玉ノ井。そのどちらを思い抱いて歩くかで、微妙に捉え方が変わってくる。僕としては、断然後者を選びたい。甘やかな男女の触れ合いの舞台では無く、血肉の通った魔窟としての玉ノ井。そのほうがしっくり来るように思う。
 


“東向島駅”を出て“玉ノ井いろは通り”へ。
線路の高架脇の細い私道を歩く。
地元の人に挨拶されて、一瞬ドギマギしてしまった。

    

路地裏に在ったお稲荷さん。
選挙の幟(のぼり)が。この日は投票日。
何故かタヌキの焼物が置いてあった。狐と狸…

    

モルタルの建物がたくさん残ってました。
壁の廃れ具合と洗濯機がナイス。
表の看板には“おしゃれ雑貨 ベル”という店名が。

  


白い藤の花が見事に咲いておりました。
風に乗って香がほんのり届きます。
心なしか初夏の気配。

  

“玉ノ井いろは通り”に面した建物を脇の路地から。
ピンク色に塗られたモルタル物件。
裏には古い木造家屋が繋がってます。

  

今はもう“玉ノ井”という地名は存在しない。
商店街と町会に残されているだけ。
色街は時代と共に消えてしまった。

    

でも、その頃を彷彿とさせる要素はあちこちに。
とくに建物の端々にまだ名残はあります。
この建物もたぶんそんな名残のひとつ。

  

モルタル&木造の建物に偲ばれる過去。
やがて消え行く運命だとは知っていても。
いや、だからこそ惹かれてしまうのかも。

  


呉服屋さんの裏手の窓の飾り格子。
恐らく当時から商いを続けているんだろうなぁ。
色街で働く女性達もお客だったんだろうか。

    

剥がれ崩れかけたモルタル。
中からは洗濯機の回る音とテレビの音が聞こえる。
確かな暮らしの気配。

  


酒屋さん。看板建築。
表側はもっと立派でした。
看板建築はまだ東京のあちこちで見られます。

  

路地裏にはやっぱり彼らが居ます。
浅草にも谷中にも鎌倉にも那覇にも…
路地裏は猫のオアシス、なのか?

   

どうやら廃屋となってしまったらしい家。
三輪車がそのまま置き去りになっていた。
何だか寂しい感じ。

  


蔦が廃屋を覆わんとしている。
一体どんな事情でここを離れたんだろう?
余計なお世話だけど、気になるよなぁ。

  

…これ、家ですよ。
アンテナが立ってるのでかろうじて分かるけど。
さっきの家もいずれこうなっちゃうのかなぁ…

  


メインストリート、“玉ノ井いろは通り”。
とは言えこの通りに玉ノ井の気配は希薄。
でも、一歩路地を入ってみると…

  

どこへ続いているのか分からない細道が。
曲がりくねったり、十字路になったり。
まさしく迷路のように入り組みながら。

  

路地なのかそうでないのかの判別も曖昧に。
方向感覚も次第に覚束なくなってくる。
時間が許す限り彷徨ってみるのも乙。

  

 “玉ノ井”から少し浅草寄りに移動して、“鳩の街商店街”に入ってみる。旧・鳩の街。ここもやはりかつては“カフェー街”だとか“特飲街”などと呼ばれた赤線地帯だった。玉ノ井で商売をしていた人達が空襲で焼き出され、この辺りに移って来たのが始まりだったらしい。
 商店街…狭い通りに寂れた商店が建ち並ぶ、お世辞にも活気があるとは言えないこの商店街だが、玉ノ井よりも後に出来たせいだろうか、この辺りには赤線当時の佇まいを色濃く残した建物がかなり存在している。モルタル、模造タイル、飾り窓…独特の艶やかさを湛えたこれらの建物は、下手な文化財なんぞ及びもつかない確かな時代の証拠として極めて魅力的だ。
 一日に数千人という規模のお客が、この狭い花街を訪れたとか…今ではその賑わいがまるで嘘のようにひっそりとした商店街。その商店街から脇道にはいると、そこにはいかにも下町らしい路地と街並みが続いている。蔵を持った質屋や料亭などの立派な建物も点在しているが、多くはこじんまりとした木造の家々。どの家の軒先にも鉢植えの草花がもっさりと置かれ、緑が清清しく光る。おばさん・おばあちゃん達が世間話をしながら花に如雨露で水をやる姿。人が通るたびに吠え立てる犬。そして、路地裏には必ず居る猫達。何だか懐かしい気持ちになる。
 玉ノ井同様、この鳩の街の路地裏もかなり複雑だ。幾つもの辻が不規則に繋がっていて、一見袋小路のように見えるその先に実は狭い道があったり、真っ直ぐに進んで行こうと思っても道がくねってしまっていて、どこに抜けられるのか見当がつかなくなってしまう。いつの間にか同じ道を歩いていた、なんてこともしばしば。

 そんなことを繰り返していると、さすがに足が疲れて来た。とりあえず“墨堤通り”という大きな道路に出て、アサヒビールの工場や『隅田公園少年野球場』などを左手に見ながら、隅田川の方へと歩く。
 上空はだんだんと晴れてきて、歩いていると汗ばむほど暖かい…いや、暑いぐらいだ。
 


“鳩の街商店街”の界隈も玉ノ井と縁が深い。
玉ノ井の商人が移って来て出来た町。
ここも路地が複雑に入り組んでる。

  

ラモナー化粧品って、今もあるんでしょうか?
ちょっと聞いたことないんだけど…
この店も今は廃業してるみたいだし。

  

料理屋さんの入ってる建物。
これもかなり古そうな物件ですよね。
何だか不思議な設計だし。

  

どことなく娼館を思わせるこのドア。
ズルッと着物を着崩し煙草を燻らすお姉さんが、
ドアの向こうに居そうな雰囲気。

  

角に丸みを帯びた建物。
今は普通のご家庭が暮らしてらっしゃるようです。
これもやっぱり花街っぽい風情。

  

模造タイル張りの壁が一部残ってる。
きっとかつてはモダンな建物だったんだろう。
これも花街時代の名残だと思うんだが。

  

商店街の中にある写真屋さん。
綺麗に塗装し直してあるけど、造りは当時のまま。
こういうのがたくさん残っている墨田の町。

   

雨水を利用した防火設備、“路地尊”。
ポンプと水瓶。瓶の中には金魚が2匹。
路地の片隅に創意工夫。

   

しかし、どうしてモルタル物件って
こうも複雑怪奇な建築物が多いのか?
4軒をずらして無理矢理くっ付けた、みたいな。

  


やけにカラフルなトタン板の壁。
微妙に歪んでいるような気がする…
耐震性は皆無に近いのではなかろうか。

  

古いものはいつか消えて行ってしまう。
ぽつんと残った木造の家と、奥に見えるマンション。
無理に切り取られたような、どこか頼りない光景。

  

この界隈には質屋や料亭も何軒か在る。
黒塗りの塀がどっしりとした印象を与えます。
…質入してまで花街に通う男も居たんだろうか。

       

余所者が迂闊に入り込めない強い絆。
とは言いつつも、周囲にはマンションが立ち並ぶ。
“下町”の在り様も次第に変わっていくのかも。

  

この建物の横に“花街入口”の看板があったはず。
手書き文字で書かれた風情のある看板。
…あれ?見当たらないぞ。

  

あ、新しくなってる!
これじゃあなぁ〜…雰囲気に欠けるよなぁ。
“花街”という名称を残してるのは嬉しいけど…

  


“墨堤通り”を隅田川の方へ進みます。
木漏れ日が気持ちイイです。
この日は半袖で歩いている人も結構居ました。

  

『墨田公園少年野球場』。王さん縁の場所。
日曜日だったので試合や練習で賑わってました。
目指せ!未来のメジャーリーガー!

   


そのすぐ横にある『言問団子』。有名です。
創業160余年の老舗です。
団子ってときどき無性に食べたくなるよなぁ。

  

 隅田川の川岸に在る“隅田公園”。広大な敷地は川を挟んで両岸に渡り、浅草駅の辺りまで伸びている。瀧廉太郎の『花』(♪春の〜うららの〜、ってヤツね)にも唄われ、浮世絵や詩歌の題材にも数多く取り上げられた隅田川は、春には桜の名所として賑わう。…でも、僕が一番好きなのは、夏の夕方〜宵の口にかけての川辺。陽が落ちて幾分涼しくなった川縁を、灯りの点いた屋形船を眺めながら散策するのがイイのだよ〜。
 さて、この公園にはホームレスの方々が暮らすビニールシート製の手造り住居が、夥しい数建ち並んでいる。一説に拠ると、山谷地区から流れて来た人が多いという話なのだが。以前『新宿中央公園』を歩いたときにも感じたことなんだけど、これだけ多くのホームレスの人々が集まると、ちょっとしたコミュニティが形成されているような、「こういう生き方もありかな」という気持ちにもなる。もちろん彼等彼女等とてこうした暮し向きが本望では無かったのだろうけれど、自分の人生は自分で受け止めていくしか無く、だとしたら、こういう状況でも強く生きて行かれるということは、何だか心の奥がジンとしてくるような。…って、言ってる意味が分からないよね(^_^;)
 混沌とした今の世の中、実は“玉ノ井”や“旧鳩”が健在だった頃とさして変わっていないのかもなぁ、と思ったりしつつ、いや、かえってそれ以上に酷い世の中になったりはしないか、とも思いつつ、どんよりと濁った川を眺める。どんなに汚れようとも川は川。やがて海に注ぐ。
 

“隅田川”に出て来ました。
これは“千住”方面の眺め。
千住や柴又もいつか行ってみたいですねぇ。

  

川辺の桟橋で羽を休めるゆりかもめ(都鳥)。
「名にし負はば いざ言問わむ 都鳥
 我が思ふ人は ありやなしやと」

    


こちらは逆側、河口方面の眺め。
向こうに見えるのが“言問橋”です。
ちなみに僕は“桜橋”からこれを撮ってます。

  

水上バスでお台場まで行かれます。
けど、料金がちょっと高いので、今回はパス。
隅田川に架かる橋をくぐってみたいんだけどなぁ。

  

“隅田公園”は川の両岸に跨るリバーサイドパーク。
浅草側の堤防の上の方を歩いてみました。
運動場から賑やかな声が聞こえてくる。

  

おっ、屋形船だ。
一度は乗ってみたいねぇ、屋形船。
花火のシーズンなんか最高だろうねぇ。

  

川岸に建ち並ぶビニールシート・ハウス。
ホームレスの人がたくさん居るのもこの公園の特徴。
何かと世知辛いご時世ですから…

  

アサヒビールの本社ビル。
出来た当時はかなり話題になったっけ。
「ウン○ビル」とか言われたりしてね〜(^_^;)

  

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