すべては霧の彼方に
 

 母親の郷里から、叔母が遊びに来ていた。もう60を越え、悠悠自適に年金暮らしをしている彼女は、わりと頻繁に上京してくる。今まで独身だったので経済的にもかなり恵まれているようで、あっちこっちしょっちゅう旅行に出かけているらしい。僕の母などは「ホントにうらやましいよ。私なんてぜんぜん旅行したこともないって言うのに…」としみじみと愚痴をこぼす。…誰だっけ?「乗り物酔いするから旅行なんてまっぴらだ」と言っていたのは…?
 
 たまたま僕の休日と予定が合ったので、叔母を連れてどこかに出かけよう、ということになった。
 当初は鬼怒川にある『東武ワールドスクエア』に行く予定だった。これは、どうやら僕の両親の希望だったらしい。
 ところが、叔母はこの提案に難色を示した。「だって、行ったことあるもんよ。一度観に行けばそれで充分だっぺよ」
 というわけで『東武ワールドスクエア』行きは却下。…僕もちょっと行ってみたかったのになぁ、『東武ワールドスクエア』。
 「じゃあ、姉ちゃんはどこに行きたいの?」と母が訊くと、彼女は「箱根がいいかな」と言ったそうだ。
 この予定変更を僕に電話で告げる母は、「箱根なんて面白くないよ、って言ったんだけどさ。姉ちゃん強情だから…」と、かなり残念そうだった。まぁ、確かに箱根なんてもう何度も行ってるし。僕も「今さら箱根かぁ…」と思ったりした。
 しかし、上京して来た叔母が箱根を希望しているのならば、それに沿うしかあるまい。

 早朝、僕は超スピードで横須賀の実家に戻り、両親と叔母を車に乗せて、一路箱根へと向かった。
 天気は雲が多いものの、まずまずだった。渋滞らしい渋滞にも捕まらず、スイスイと箱根入りすることが出来た。
 叔母の要望は“芦ノ湖”“箱根関所”“彫刻の森美術館”、そして温泉だった。
 とりあえず、そのノルマをきっちりとこなすべく、僕は脇目もくれずに“芦ノ湖”へ。
 …しかし、下界ではあんなに天気が良かったはずなのに、“箱根ターンパイク”という峠道をグングン上って行くと、だんだん霧が辺りを包みはじめてきた。
 

…これ、モノクロ写真じゃないよ。
霧で景色がすっかり消え去っております。
“箱根ターンパイク”にて。

  

“大観山ドライブイン”。
本来ならここから富士山が見えるはずなんだが…
跡形もありません。

  

 霧で前が見えない!おまけにここは峠道。クネクネと蛇行する道路の状況がほとんど確認できない!
 「怖いから、あんまりスピード出すなよ」とみんなが言う。時速30km前後という低速で走っているのに…周囲が見えないせいでみんなすっかり怯えている。勝手なことを言うな!一番怖いのは運転してる俺様だ!

 極めてスリリングな峠下りがようやく終わると、すぐ目の前に芦ノ湖が見えてきた。
 …でも、芦ノ湖畔にも濃い霧が立ち込めていて白く霞んでしまっていた。
 「…ぜんぜん見えねぇなぁ、湖が。これではせっかくここまで来たのに、ま〜るで意味がねぇでねえのぉ」
 叔母が言う。僕も、そして両親もまったく同じ気持ちだった。…何しにわざわざここまでやって来たのか、これじゃあさっぱり甲斐が無い。ムチャクチャガッカリ。芦ノ湖なんて、景色が見えなかったらただのデッカイ水溜りじゃん…
 僕らは芦ノ湖からさっさと移動した。本当ならば遊覧船に乗ったりするつもりだったが、この状態で乗っても面白くも何とも無い。
 

ご覧のとおり、“芦ノ湖”です。
英語表記すると、ちょっとマヌケな感じ。
晴れてればNiceな眺めなのだが…

  

遊覧船が幽霊船のよう(^_^;)
霧の中から現れたりするとさらに。
乗客もまばら。

  

箱根と言えば、駅伝。
僕はマラソンとかってまったく興味ナシ。
するのもヤだし、観るのも苦手。

  

しっかり現役の赤ポスト。
竹富島を思い出す。
バス停よりも目立ってる。

  

 芦ノ湖のほとりに“箱根関所跡”がある。ここ、確か小学5年生のときに“秋の遠足”で見学したことがあったと思う。でも、あんまり記憶に残っていない。…たぶん、つまんなかったんだろう。
 関所跡には、多くの観光客が居た。―― いや、関所跡に限らず、この悪天候だと言うのに、この日箱根にはかなりたくさんの観光客があちこちに居た。とくに外国人の姿を殊更多く見かけた。僕は内心「彼らが“霧の摩周湖”ならぬ“霧の芦ノ湖”という誤ったイメージを持ってしまいはしないか」と少し心配になったりした。
 
 関所跡は、今大規模な改修工事をしているようだった。数年後にはちょっとした“なんちゃって江戸村”のような観光スポットに生まれ変わるらしい。…期待薄ではあるけれども。
 さて、関所跡に入る。ここでは関所が現役バリバリで機能していた当時の様子を、ロウ人形を使って再現されている。規模はかなり小さいけどね。
 こういうのって、歴史に関心のある人や高齢の方には興味深い展示物なのかなぁ?僕にはあまりよく分かりません。
 どうせロウ人形で再現しているのだったら、“取り調べ”とか“拷問”とか、もうちょっと刺激的な場面が欲しいと思うのは僕だけ?東京タワーの『蝋人形館』ぐらいのインパクトがあったほうが、お客を呼べると思うのだが…
 「それじゃあ箱根のイメージが悪くなっちゃうからだろ?」と父が言う。ごもっともです、そのご意見。
 「ひろかずはそういうのが好きなのけ?」と叔母が訊いてくる。いや、べつに“好き”ってわけじゃないけどさ…
 
 関所跡から少し奥に行くと、『関所資料館』とか何とか言うところがあって、関所に関する資料や、100体を越える人形で作られた大名行列などが展示してあった。
 …ここにさ、昔は“さらし首”になった人の写真とか無かったっけ?どこを探しても見当たらないんだけど…
 「さっきから拷問だのさらし首だの、アンタちょっとおかしいんじゃないの?」と母が言う。
 「やっぱりひろかずは好きなんだな、そういうのが」と叔母が追い討ちをかける。…あ〜そうだよ!俺はそういうのが好きなんだよ!こんな手のひらサイズの人形でこさえた大名行列なんか興味ナ〜シ!俺はもっと激しい刺激が欲しいのだ〜!!
 そんな僕らの傍らで、外国人の団体さん(フランス人らしい。フランス語っぽい言葉をしゃべってたから)は、実に落ち着いた感じで展示物を観ていた。…反省。
 

雰囲気があると言えばあるけど…
霧で霞みまくりです。
…デジカメ、壊れそうな湿気。

  


“関所跡”です。
越えるのはなかなか大変だったようです。
越すに越せない箱根の関。

  

出女チェックをするおばあさん。
女性の関所越えは特に厳しかった。
身包み剥いで検問されちゃう。

  


たぶん、偉い人。
よく分かんなかったけど。
…役人ってこれだからなぁ。

  

“御番所”です。
目を光らせまくっている模様です。
怖いッスねぇ。

  

こっち見てるよ〜。
心なしか田村高廣似。
ちょっとフケすぎじゃないか?この人。

  

どうやら一番偉い人のようです。“番頭”。
…でも、何でここ障子が中途半端に閉まってるの?
すご〜く見にくいんですけど。

  

ここを越えようとして、越えられない人が居た。
見つかると厳しい処分が待っている。
…思えば、結構禍禍しい場所かも…

  

 “関所跡”を出ても、相変わらずすごい濃霧。おまけにちょっと肌寒い。山の外はおそらく20℃を越えているだろうに、ここは薄手の上着を羽織って丁度いいぐらいだ。さらに風まで出て来た。
 僕らは“旧街道の杉並木”や“旧街道の石畳”を散策する計画を断念し、『箱根彫刻の森美術館』を目指して移動し始めた。
 が、「この霧じゃあ、彫刻なんてのんびり楽しむ余裕なんて無いんじゃないか?」という結論に達し、このまま箱根湯本まで戻ることにした。『彫刻の森』と言えば、ピカソ。さよなら、ピカソ。ついでにヘンリー・ムーアもさようなら〜。

 湯本に向かう途中、標識に“大湧谷”の文字が見えた。“大湧谷”というのは、火山活動の名残で山肌の割れ目から噴煙が上がっている、なかなかワイルドな景観が自慢のスポットだ。“黒玉子”という硫黄(いおう)で燻した卵も名物だったりする。
 「ねぇ、大湧谷に行ってみない?」と母が言い出した。…この霧の中を?これじゃあ大湧谷に行っても、霧なんだか煙なんだか分かんない状態なんじゃないの?
 「黒玉子って食べたことないし。一度食べてみようよ」母はどうやら“食い気”に惑わされているようだった。
 
 大湧谷に着くと、僕らはその様子に呆然としてしまった。
 …何〜にも見えない!!地面から上は、霧がそのまま曇り空に繋がっているような感じで、山肌はおろか煙すら見えない!ただ、硫黄の臭いはかなり強烈で、長くその場に居ると体に悪影響を及ぼしそうな勢いで臭って来る。
 さらに、もンのすごい強風!!立っているとときどき吹き飛ばされそうになるぐらいに、風がビュービュー吹き荒んでいる。
 「こんなところ、早く立ち去ったほうがいいんじゃないの?」と僕が言うと、母と叔母は抗って「せっかく来たんだから、谷へ行く!」と意地になって山のほうへ向かって行った。仕方なく、僕と父もその後に付いて行く。
 約300mほどの遊歩道を辿って行けば、噴煙が上がる山肌に行けるらしいのだが、何しろ霧&強風でその道行きは容易ではなかった。とくに叔母にとってはこれはかなりキツイようだった。だって、ホントに吹き飛ばされかねない風なんだもんよ。
 結局、100m進んだか進まないか程度まで歩いて、僕らはそのまま来た道を逆戻りすることにした。僕らは口々に「ひ〜っ!怖い〜!」とか「ウオ〜!なんだってこんなひどい風なんだ!」とか言いながら、さっさと下山。
 
 「そう言えば、黒玉子食べたいって言ってたよね。売店で売ってるみたいだから、食べてく?」と母に訊ねると、
 「…もういいや。なんだか硫黄の臭いで気持ち悪くなってきちゃった…」とゲンナリした様子で力なく答える母。
 …何しに来たんだ?意味ないじゃんか!結局僕らは強風と硫黄臭に打ちのめされるために、わざわざここまで来たようなものだ。
 「もう観光地巡りはいいから、温泉に行こう」と叔母もすっかりお疲れの様子だった。
 …温泉かぁ。
 

本当ならば、
この看板のような景色が見えるはずなのだが。
…ちょっと見てみるとね…

  

そこは白一色の世界!
影も形も見えやしません。
すご〜くソンした気分だよ〜!

  

ここの名物・黒玉子。
要するに燻製卵ですね。
殻が真っ黒なので、ちょっとインパクトあります。

  

ナチュラル・ホット・スプリングス!
箱根が温泉街なはずだよねぇ。
未だに噴煙が上がってるんだから。

  

これ、かなり熱いです。
おまけに風になびいちゃってる。
お湯さえなびく強い風。

  

こういう遊歩道が伸びています。
普段ならそう大変じゃないんだけど…
今日は歩くのも大変。

  


荒涼とした風景が続きます。
ちょっと“この世の果て”っぽいかも(^_^;)
人の気配があるので寂しくはないけど。

  

…霧。
山頂はおろか、ちょっと先すら見えない。
噴煙なんて確認不可能。

  

“有毒ガス”の文字にハッとする。
場合によっては避難勧告も…?
あまり聞いたこと無いけど、そんなニュース。

  

どこを撮っても霧の写真になっちゃう。
これほど霧を堪能出来るHPも貴重でしょ?
…べつに堪能したくもないでしょうが。

    

これも箱根名物・寄木細工。
なかなか開けられない“ふしぎ箱”が有名。
コツが分かればすぐに開いちゃうけども。

  

寄木独特の模様は好きです。
石畳がヒントになって出来たとか。
職人技の幾何学模様。

  

 実を言うと、僕は温泉があまり好きじゃないのだ。
 とは言っても、温泉に浸かること自体はわりと好き。熱〜いお湯も好きだし、入れば気持ちいいとも思う。おじいさんなんかがお湯に浸かって「は〜、極楽ゴクラク」などと唸ってしまう気持ちも分からないでもない。
 しかし、僕は温泉に入ると必ず湯疲れと言うか、湯当たりと言うか、そういう「死ぬほどダルいんですけど…」な症状に襲われてしまうのだ。
 よく「疲れを取るために温泉に」だとか「湯治」だとか言って温泉を好んで利用する、なんて聞くけれど、僕の場合は逆にド〜ッと疲れが出て来てしまう。さらに、何だか無用に血の巡りが活発になってしまい、温泉に入った夜は決まって眠れなくなる。だから僕は自分から進んで温泉に来ることは無い。

 箱根湯本にある立ち寄り湯・『天山』に着いたものの、僕は少しばかり憂鬱な気分だった。僕以外の3人は、喜び勇んで温泉目掛けてまっしぐら!な感じで居るのだが…
 
 母と叔母は(かろうじて)女湯へ、僕と父は男湯へ、それぞれ別れる。
 父は温泉が好きなようだ。と言うか、とにかく父は風呂好きなのだ。家の風呂にも最低1時間は入っている。「そんなに長く風呂場に篭って、一体何してるんだろう?」と不思議に思うぐらいだ。彼は、ちょっとビックリするぐらい几帳面に体を洗う。足の指の股でさえ、親の仇(かたき)みたいに洗う。頭だって3度も洗う。角刈りのくせに。体が擦りすぎで赤くなるほど渾身の力を込めて洗う。端で見ているとちょっと怖いぐらいだ。
 …話を『天山』に戻す。ここはナトリウム泉とアルカリ泉のふたつの泉質を持つ露天風呂がウリらしい。で、かなり規模が大きくて、温泉以外にもレストランが2つも完備されている。入泉料が\1000っていうのが、高いのか安いのかは分からないけど。タオルも\200で販売されているので、手ぶらで来ても問題ない。
 風呂場には、平日にも関わらず常時10人近い入浴客が居た。お年寄りよりも、むしろ20〜40代ぐらいの人が多い。…会社の研修か何かで箱根に来ている人たちなのかもしれない。中にはインド系の人まで居て、連れの日本人と一緒になって、あっちのお風呂こっちのお風呂と、風呂のハシゴをして温泉を堪能しているようだった。…インドって、入浴の習慣ってあるんだろうか?ガンジス川とかで沐浴、とかいうのなら話は分かるけど…
 
 さて、僕はと言うと、温泉に浸かるのは最小限に抑えて、もっぱら“釜風呂”というサウナのようなところに入り浸っていた。熱いのは結構得意なのだ。僕があまり長く入っているので「中で気絶してるんじゃないか」と心配になって父が見にきたぐらい、僕はアホのように釜風呂に居た。
 …せっかく温泉に来たというのに。これって温泉に来た意味が無いような気がする…

 とにかく、そんなふうに銘々が露天風呂でダラダラとした時間を過ごし、僕らは1時間後におち合って、『天山』を後にした。
 車に乗ってしばらく走っていると、不意に母が「ほら見て!手がツルツルになってる!」と素っ頓狂な声を上げた。
 「ホントだ。肌がツルツルしてる。やはり温泉っていうのは効き目があるもんだなぁ」と叔母までも感動し始める。
 そんな、たった一回温泉に入ったぐらいで「肌がツルツルスベスベ♪」なんてことになるんだったら、ドモホルン・リンクルの立場が無いじゃないか。「砂漠のような肌の埴輪女だった私」が効果を力説している『ダブ』だって、「一週間は使え」って言ってるじゃんか。と思いつつ、自分の手を見てみると…ゲッ!ホントだ!指に油でも塗ったかのようにツルッツルになってるぞ!う〜ん、気持ち悪い。指紋までもがテッカテカだ。
 恐るべし、温泉パワー!ナトリウム&アルカリの威力!
 「あ〜、こんなことなら“温泉の素”みたいなの、買って帰ってくるんだった!」と後悔しまくる女ふたり。…いくら肌がツルツルになったとしても、シワまでは消えないのだということを、彼女らはすっかり忘れている様子である。
 「…普段は肌のことなんて少しも関心のない人間がナニ言ってるんだ。だいたい女なのに10分そこそこで風呂から上がってくること自体が間違ってるんだ」と、父が指摘した。
 「毎日(お風呂に)入ってるんだから、それぐらい入れば充分なの!お父さんみたいに長く入ってるほうがおかしいんだよ」と、母は反論。
 …どうでもいいけど、このまま横須賀に戻って宜しいんでしょうか?
 と、叔母が急に思い出したように言った。
 「あ、そうだ。あのよ、白いクジラが歌を歌う、っていう水族館があったっぺ?」
 エエッ?!白鯨が歌を歌う?!そんな世界の七不思議クラスのイベントを見せる水族館がこの世にあるのか?!
 「ああ、“八景島”でしょ?」と母がサラリと答えた。
 …八景島?あ、『シーパラダイス』か。でも、白いクジラが歌を歌うなんて、聞いたことがないけど…
 「あれはクジラじゃなくて、イルカだろ?」と父。…あ、そう言えば、そんなイルカが居たような…

 と言うわけで、僕らはそのまま『八景島シーパラダイス』に向かうこととなった。
 僕は、温泉後の虚脱感と闘いながら、必死に車を運転。歌う白イルカのために…
 

『雲遊・天山』の入り口。
和風旅館を彷彿とさせる建物です。
中はかなり広い。

  

盗撮!男湯の脱衣場!
マズイものが写ってるので、モザイク処理。
…何が何だか分からんですね、これじゃあ。

  

国道134号線。
江ノ電“鎌倉高校前駅”付近の海岸。
時化てます。♪TSUNAMIのよ〜うなぁ

  

左奥に見えるのは『逗子マリーナ』です。
なんちゃってハワイみたいなところです。
夏になると“ユーミン渋滞”が発生します。