家造りのご参考に…なる?
    
 
 僕の家から車で約10分ぐらいのところに、『小金井公園』というデッカイ公園がある。
 そのデカさと言ったら…何しろ、公園内を周るために自転車をレンタルするサービスが存在するほどだ。
 この公園には、桜の咲く時期に一度だけ訪れたことがあった。が、そのときは花見をしただけで、公園を散歩しようなんてことにはならなかった。
 
 さて、この『小金井公園』の敷地内には、『江戸東京たてもの園』という施設がある。
 この『たてもの園』には、主に大正〜昭和初期の東京で実際に使われていた建築物が移築されている。中には“奄美の高倉”などという「何でここにあるの?」と疑問に思ってしまう展示物もあるのだが、とにかく貴重な建物が27棟(最終的には35棟になる予定らしい)、実際に使われていた状態に限りなく近い形で移築・復元されているわけだ。
 
 僕は、正直言って特別“建物”に関心があるわけじゃない。でも、近所にそんなテーマパーク風な施設があると聞いちゃぁ見過ごすわけにもいかない。何たって“江戸”だよ、江戸。『日光江戸村』みたいなコトになってたりした日にゃあ、もう嬉しさのあまり気絶しちゃうかも〜(そんなワケないけど)。
 と言うわけで、『江戸東京たてもの園』に潜入!
 

『小金井公園』西側。
ここは桜の季節になるとスゴイ!
僕の家から一番近い桜の名所。

  

『江戸東京たてもの園』の入り口。
で、この建物も展示物のひとつ、“旧光華殿”。
ビジターセンターとして使われています。

  

桜のつぼみがだいぶ膨らんでいます。
もうすぐ開花するね〜。
もう桜の季節なんだねぇ。

   
<西ゾーン>

 この『江戸東京たてもの園』は、“西ゾーン”、“センターゾーン”、“東ゾーン”の3つに分かれている。
 僕がはじめに向かった“西ゾーン”には、ちょっとハイソな山の手チックな住宅と、茅葺き屋根が郷愁をそそる(?)農家などがある。
 
 西ゾーンでは、何だかあちこちでスケッチに熱を注いでいる中高年の人々がたくさん居た。後で分かったんだけど、この人たちの多くは“ボランティア・スケッチ同好会”という会に所属しているらしい。
 園内の巡り方を無料で教えてくれたり、清掃をしたりするボランティアの人たちが、ここ『江戸東京たてもの園』の中にはたくさん居る。そんなボランティアの人が作った同好会なのだそうだ。
 僕は、ボランティアってほとんど未経験に近い。昔、学生のときに老人ホームに行って、本の朗読をしたことがあるぐらい。しかも、そのときに読んだ本が野坂昭如の『ほたるの墓』で、「何だってよりによってこんなヘビーな本を…」と思いながら渋々朗読したのだった。泣き出すお年寄りを見て「ほ〜ら見ろ…もっと楽しい本にすれば良かったものを…」と参加したことをひどく後悔した記憶がある。
 …話題を元に戻します。

 で、とにかく西ゾーンにある建物へ、手当たり次第にお邪魔することにする(ここにある建物は、ちゃんと家の中まで入れるんだよね)。
 
常盤台写真館

 東京都板橋区常盤台に、昭和初期に建てられた田中さんという方の“写真館兼自宅”。
 平成8年まで実際に住んでいた家を、新築のために取り壊すことになって、そのときここへ移築されたそうだ。
 
 ここの各建物には、詳しく解説してくれる係りの人が居て、とてもフレンドリーな感じで丁寧に説明してくれる。係りの人が一部屋一部屋一緒に周ってくれて、あれこれと解説やエピソードを語ってくれるので、なかなか勉強になる。
 ここ『常盤台写真館』にも係りの人(女性)が居て、いろいろなことを聞かせてくれた。
 「ここ、掃除とかって、毎日やってるんですか?」と、どうでもいいようなことを僕が訊ねても、
 「はい。毎日お掃除を担当している方がやってるんですよ。でも、あんまりキレイにしすぎると趣が無くなってしまうので、その加減がなかなか難しいみたいです」と、実に丁寧に答えてくれる。
 「あ、あのソファーとか、結構雰囲気がありますよねぇ」と僕が感心していると、
 「…それは、こちらで後から置いたものなんです…」と、申し訳なさそうにやんわりと訂正してもくれる。…ありがとうございます。
 とにかく、どれが当時のもので、どれが後から復元されたものなのかも、こちらが質問すればしっかりと答えてくれる。さらにはこの家の元住人・田中さん一家の家族構成などもちゃんと把握している。きっと、かなり勉強しているんだろうなぁ。
 
 この建物の一番の見どころは、“写真館”なので当然“撮影室”ということになる。
 2階にある撮影室は、当時まだ照明器具が未発達だったため、自然光を豊富に採り入れるために北側に大きな窓を取り付け、陽光を安定させるためにガラスは曇りガラスになっている。
 う〜ん、確かに明るい!光が柔らかい!人物の背後に写り込む“書き割りの背景”の淡いタッチと相まって、部屋中が何だか妙にホワ〜ンとした空気に包まれている。こんなところで写したら、きっとどんな被写体でもキレイに撮れるのだろう。…あ、自分のことを棚に上げて、失礼な発言したかも。
 


『常盤台写真館』全景。
結構モダンな作りです。
“和洋折衷の文化住宅”だって。

   

応接室。
なかなか立派なもんだよなぁ。
僕の部屋のほうが古臭い気がする…(泣)

  

でも、こんな“和”な空間もしっかりと。
ここは“老人室”だそうです。
…この呼び方、なんとかならんのか。

  

こちらは“居間”の小机。
鏡と硯&墨とそろばん。
この取り合わせの意味は疑問だけどね。

  

“子供部屋”です。
子供が多い家だったそうです。
窓に向かってお勉強。…気が散りそうだけども。

  

“写場”。撮影室です。
大きな窓から自然な採光。
左端にある写真機もこれまた年代モノですね。

  

三井八郎右衛門邸

 …スゴイ名前だけど、とにかくそういう人の邸宅だったそうだ。昭和27年に麻布に建てられた建物。麻布だもんねぇ、もうその時点で豪勢な感じ爆発!って気がする。
 主人の名前から察しの付く人も居るかもしれないけど、三井財閥総領家だそうな。財閥だって、財閥。
 
 とにかく、ここのお宅は広い。で、何だか一々豪華な感じ。おまけに立派な土蔵まである。僕の人生とはまったく合致することのない、文字通りの“豪邸”な雰囲気。
 襖の絵、欄間の彫刻、そして、2階の“仏間”とその前にあるシャンデリア!シャンデリア、キンキラキン!絵に描いたような“大金持ちのシャンデリア”!あまりのことに写真を撮るのも忘れ、僕はシャンデリアにしばらく見入ってしまった。
 「…死ぬほど豪華でリッチな感じ炸裂ですねぇ…」と僕がつぶやくと、ガイド係の人が爆笑。…正直に感想を述べただけなのに…
 ここの一番の見どころは、個人的にこのシャンデリアに決定。
 しかし、“財閥&シャンデリア”という金持ちオーラに気分悪ぅ〜。
 

『三井八郎右衛門邸』。
門構えからして立派な感じ。
中に入ると、さらに立派。

  

庭園なんかも当然のように完備。
これまた高級感溢れてます。
庭園部分だけでも俺にくれ!って言いたい。

  

“書院・客間”だそうです。
赤絨毯がゴージャスでございます。
調度品もゴージャズでございます。

   

奥に見える窓枠がこれまた…
旅館じゃないよ、ここ。
人ん家。

  

壁に何気なくはめ込まれた彫刻。
2羽の鳩。
…スゴイよなぁ、これいくらだろう?(←俗物)

  


土蔵は展示室に活用されています。
襖や杉戸、長持などを展示してある。
どれもこれも由緒ある物らしい。ぬ゛〜!

  

吉野家、綱島家、奄美の高倉、八王子千人同心組頭の家

 三井さんの家の豪華さの後、いきなり今度は茅葺き屋根の建物が立ち並ぶゾーンへ。
 何だかホッとする。こういうの“庶民派”って言うの?フランス料理のフルコースの後に出て来たお茶漬けみたいな。
 ここにある趣のある日本家屋は、江戸後期に建てられたものらしい。…実はここって、『江戸東京たてもの園』という名称のわりに、実際に“江戸”と関わっているのは、この3つの建物だけだったりする。…ちょっと騙された気分?
 
 『吉野家』と『綱島家』そして『組頭の家』では、いろりが焚かれていて、そのいろりを囲んでボランティアの人やお客さんが何やら語り合っていた。
 僕もお邪魔しようかなぁ、と思ったのだが、とにかく煙い!一歩家の中に足を踏み入れると目に沁みる〜。…いろりって、こんなに煙いものだったかなぁ?いろり以外にも、何か燻しているのかもしれない。
 それに、今日はいろりの火を囲むほど寒くないし…パスしちゃお〜っと。
 
 で、そんな農家な感じの建物に混じって、『奄美の高倉』なるものがポツンと建っていた。
 …『江戸東京たてもの園』なのに、何ゆえ奄美の高倉が…?と思いつつ、沖縄好きとしてはミョ〜な親近感を覚えてしまうのはもはや業のようなものだろうか。
 

絵を描く人々。
水彩画で丁寧に写生中です。
みんな、かなり真剣。うかつに声を掛けづらい。

  

『吉野家』
表にある自転車もちゃんとした展示品です。
使い込まれた古い型のチャリンコ。

   

『奄美の高倉』です。
不器用ですから…
それは高倉健。

  


『組頭の家』を裏側から。
ここの桜は少し咲き始めてますね。
この日は、東京でも開花宣言が出た日でした。

  

かまどに火が入ってるの、分かる?
お釜から煙がモクモク出てるでしょ?
何を炊いているのかは分からないけど。

  

小出邸

 大正末期に建てられた、小出さんというどこかの会社の社長さんの邸宅。ここも『写真館』同様、つい5年ほど前まで住宅として使用されていた建物。ちなみに、文京区にあったそうだ。
 一見、「ど〜ってことない普通の家っぽいじゃん」と思ってしまう外観だが、これが建てられたのが大正時代だと思えば、これって相当モダンな家だ。
 ここを設計した堀口捨巳という人は、近代建築の大家(“おおや”じゃないよ、“たいか”ね)で、オランダ建築に影響を受けたらしい。そう言われてみれば、そんな感じがしないでもない…かな。

 屋内は、その外観とはちょっと趣きの違う、和室メインの案外清々とした雰囲気。
 ここで説明をしてくれたガイドさんは、僕より若いお兄さんだったのだが、僕がヘンな質問をすると「あ、じゃあちょっとベテランの人に訊いてきます」などと言ったりする丁寧な人で、うかつに下らないことは訊けないな、と自分を戒めた。
 でも、このお兄さんはとても詳しく解説をしてくれた。やっぱりガイドの仕事もいろいろと大変なんだなぁ、と思った。

 ここの見どころは、“応接間”ってことになるのかもしれない。
 和風な部屋が多い中、ここだけがバッチリ洋風。いかにもな応接セットとピアノが、しっかりと“社長の邸宅”という主張をしている。
 「ここは、設計の段階からあらかじめピアノを置くことを想定して作られたらしいんですよ」
 「へぇ〜…じゃあ、家族の中にピアノを弾ける人が居た、ってことですかねぇ?」
 …ハッ!しまった。また下らないことを言ってしまった。ガイドのお兄さんは首をかしげている。
 「あ、べつにベテランの人に訊かなくてもいいですからね、こんなこと…」と僕は慌てて付け加えた。
 「でも、こんなところに招かれた人は、きっと萎縮しちゃうでしょうね」と、ガイドのお兄さんが言った。
 「そうですよね、社長が窓を背にして座ったりしたら…“ヒットラーの照明効果”みたいな威圧感がありますよね」と、僕も同意する。
 “ヒットラーの照明効果”って知ってる?人と対するときに、自分の背後や足元から光が当たるように、自分の位置を取っておくことなんだけどね。こうすることで、相手を威圧することが出来るんだって。だから偉い人(会社の上司とか)の席って、大概窓を背にするように配置されてるでしょ?これ、案外効果的らしいので、何か交渉事のある人は、心掛けておくとお得♪

 …などと余計なことをいろいろ思い出しつつ、家の中を案内してもらったわけだが、僕が個人的にいちばん心に残ったのが、“女中部屋”。畳3畳、窓のない狭い部屋で、すぐ脇に女中専用のトイレがある。家族のトイレはタイル貼りの水洗トイレなのに、女中トイレは簡素な汲み取り式。
 「この狭い部屋に、2人の女中が居たそうです」と、ガイド兄さんが言う。
 「ゲ〜ッ?!ここに2人で?!…虐げられてますねぇ、ずいぶんと…」
 「そうですよねぇ、まぁ、これといって荷物も無かったんでしょうから、これでも何とかなったんでしょうけど…」
 「俺だったらグレますね、こんな境遇の違い。女中、かわいそうに…」
 貧しい者には即同情。僕は根っからの貧乏体質らしい。
 と言うわけで、個人的にいちばんの見どころは、この“女中部屋”に決定。
 

『小出邸』はモダンな家。
ね、今の家とそう変わらないでしょ。
当時はかなり浮いてたと思うなぁ、この家。

  

応接間。
天井(照明)がこれまたモダンなのだ。
ピアノは向かって左側にあります。

  

これ、最初は屋根のてっぺんに付ける予定だったらしい。
でも、気が変わって予定変更。
庭のオブジェと化してしまいましたとさ。

  

前川國男邸

 前川國男という建築家の自宅。昭和17年、つまり戦時下に建てられた建物。
 何だかぱっと見、別荘チックな感じのシャレたお家ですねぇ。こんな家がつい最近まで品川に建ってたなんて…品川に建ってた頃に、一度見てみたかったなぁ、と思う。

 で、中に入るとさらに別荘風味。吹き抜けの広々とした印象のリビング(“サロン”と呼ぶらしい)、そして書斎も寝室もフローリング。これだったら今もバッチリ使えそうな感じだ。
 …が、ここにもしっかりと“女中部屋”が…(涙)。しかも、やっぱり3畳間。他の部屋が現代的な雰囲気なのに、女中さんの部屋はしっかり和室。…おまけに風呂場のすぐ隣りの北側の部屋。まぁ、窓がある分、さっきの小出さん家よりはまだ救いがある気もするが…
 
 ちょうど、たまたま僕と一緒にサロンを見ていた若い夫婦が、「いいねぇ、こんな家に住めたら…」とため息交じりにつぶやいた。
 「でも、掃除が大変だよ、きっと」と夫が言う。
 「こんなステキなお家なら、一生懸命掃除するよ」と妻。
 「…もう出ようか」と夫。
 「先に行ってていいよ、私もうちょっと見たいから」と妻。
 …夫、かわいそうに。
 教訓:ここに夫婦で来ちゃダメ。
  


『前川邸』の玄関。
一見、ちょっとログハウスっぽく見えなくも無い。
洒落てる〜。

  

“サロン”はもっと洒落てる〜。
オイルヒーターで暖をとるあたりも洋風でんなぁ。
…って、なんで俺関西弁に?

  

ホテルの机みたいじゃん。
窓のところにある小型テレビは…?
これもまさか戦時中に…?

  

片側は一面の窓!明るい!
吹き抜けで解放感もバツグン!
こりゃあ優良物件ですなぁ。

  

田園調布の家(大川邸)

 なんたって“田園調布”ですよア〜タ。「田園調布に家が建つ〜!」という往年のギャグが思い起こされますよねぇ(世代限定)。
 ハイソな街の代名詞・田園調布の家。しかも、「これがホントに大正時代の家なのか?!」と驚いてしまうほどのオシャレ物件!…って俺は不動産屋か。
 いや、しかし、下の写真を見てもらえば分かると思うけど、ホントにこの大川邸はちょっとビックリするぐらい現代風。女の子とかが憧れそうな家なのだ。
 「これって、ホントに当時からこんな感じだったんですか?」とガイドの女性に訊ねる。
 「はい、水周りと照明の一部は後から復元したものですけどね。ただ、ここに住んでいらした大川さんは写真が趣味の方だったそうで、当時の家の写真がたくさん残っていたので、実際のお宅を忠実に再現できたんですよ」
 「へぇ〜。…家具も造り付けだし、窓もたくさんあって明るいし…これはスゴイなぁ」
 「今で言うところの“2×4(ツー・バイ・フォー)”の走りですね。よく出来てますよねぇ、こことお隣の“前田邸”は、今でもお家を建てるときの参考に出来る家ですよねぇ」
 ガイドさんのその言葉を聞いたとき、僕の脳裏を一瞬、先ほどの若夫婦が掠めていった。…あの夫婦、この家には近寄らないほうが身のためだと思うが…

 「あ!台所はカウンター・キッチンじゃん!スゲェ〜!これ、そのまま今でもイイ感じで使えますよねぇ」
 「そうでしょう?でも、当時の田園調布にはガスが引かれてなかったので、コンロやオーブンは電気のものを輸入して使ってたそうですよ」
 「ふ〜ん…」
 「当時の田園調布は、今の田園調布と違って、まだ一般のサラリーマンが少し無理をすれば手が届く範囲の地域だったらしいですしね。この家主だった大川さんも土木技師をされていた方ですし」
 「へぇ〜、なるほどねぇ…って、ここは、ひょっとして…」
 話しながら僕らが辿り着いたのは、またしても3畳間。…イヤな予感。
 「ここは女中さんのお部屋ですねぇ」
 「あ〜…ここにもあったんですかぁ、女中部屋…」と僕がガッカリして言うと、ガイドさんは苦笑しながらうなずいた。
 「小出さんのとこにも、前川さんのとこにもあったんですよね。畳の3畳間が…女中部屋は3畳って法律か何かで決められてたんでしょうか?」
 「アハハ、それはないでしょう。でも、ここのお手伝いさんは一人でしたし、このお部屋はとても明るいですからね。まだ恵まれてたほうじゃないですかねぇ」
 確かに、この家の女中部屋は窓も大きくて明るい。
 「それに、この女中部屋とご家族の寝室は、建てられた当初はコルク張りの床だったんですよ」
 「コルク張り!何だか洒落た感じですね、それは」
 「ええ、でもね、いろいろと使い勝手のことも考えて、結局畳に変えたそうです」
 …よかったね、大川さんの女中さん。
 「これを見たら、小出さんのところの女中さんはものすごくガッカリするでしょうね」と僕が言うと、ガイドさんは笑った。
 べつに彼女を笑わせるために言ったんじゃないんだけどね。心底そう思っただけなのだが。
 

こんな家が大正時代に?!
今だって通用するでしょ、これだったら。
…思わず絶句。

   

燦然と輝く『田園調布の家』の文字。
関西なら芦屋、関東なら田園調布(?)。
さぁ、一生縁のない世界に突入だ!

  

“書斎”だってさ。
窓がデカイからものすごい解放感。
ちょっと海外っぽいよね、この光景。

  

こちらはリビング。
どうだ!このオシャレな雰囲気爆発!な感じ。
家具や調度品もいちいち豪華。

  

リビングと繋がっているダイニング・キッチン。
…これが大正時代の家だなんて…
スーパー・モダンな『田園調布の家』。

  

そのモダンな家の裏にあった、この円形の一角は…
“御殿山遺跡敷石住居址”だって。
人類の“住”の変遷を思うと、感慨深し。

  

 さて、とりあえず“西ゾーン”はひと通り見終わった。
 次は“センターゾーン”と“東ゾーン”だな!
 

『近所を旅しよう!』TOPへ                          <センター&東ゾーン>へ