俺様は支離滅裂


 3日目の朝。僕らの過去の旅行ではトップクラスの高級感を醸し出す『ホテルJALシティ那覇』での快適な目覚め。いやいや、クチコミの高さにも納得ですねコリャ。フロントの方達の対応にせよ、余裕のある室内空間にせよ、アメニティ系の適切な感じにせよ、朝食バイキングの充実ぶりにせよ、さらには立地の利便性にせよ、とりあえず不満は一切ありません。愛煙家の僕らにとって「全室禁煙」というのが一番のネックだったけど、1階に喫煙所もあるし、全く苦にはならなかったし。僕らが今まで利用したホテルに比べると若干お値段が張るけれど、一般的な相場からいえば別に高値というわけでもなく、むしろコストパフォーマンスはかなり良いはず。朝食バイキング、結構良かった。朝から無駄にガッツリ食えます。
 この日は、夜半過ぎ頃に台風18号が近畿付近に上陸。テレビでは京都の桂川の氾濫の様子を映していた。こういう映像を見ると、東日本大震災の津波の映像がフラッシュバックする人も少なくなかっただろうと思う。僕もやはりあのときのことをちょっと思い出した。とんでもない事件や事故をメディア経由で見たときの、あの現実感の希薄さって、一体何なんだろう?
 
 すっかり離島づいてるKさん、今日は「慶良間諸島に行きたい」とのことで、早速『とまりん』へ移動。しかし、とまりんのチケット売り場には長蛇の列が。渡嘉敷島も座間味島も、第1便と最終便はいずれも満員御礼状態とのことで、慶良間への旅は諦めることになった。
 K「よし、じゃあ津堅島にしよう」
 僕「随分と渋いところをチョイスするなぁ…そういえば3年前も津堅島に行こうとしてたよね、たしか」
 K「そう、船の時間に間に合わなくて行けなかったけど」
 慌ててとまりん内の売店でガイドブック「沖縄・離島情報」を購入し、津堅島行きの船の時間を調べる。今からだと平敷屋港11:00発の便に間に合いそうだ。
 K「昨日の二の舞にならないように、島の情報をある程度入手しておかないと」
 僕「ガイドブックによると、周囲7kmだって。これだったら自転車じゃなくても徒歩でも周れるんじゃない?」
 K「そうだね、今日は徒歩で周ることにしよう。で、島にはどんなスポットがあるの?」
 僕「…このガイドブック、津堅島の観光スポットどころか地図も載ってないなので…情報としては“周囲7km”と“トマイ浜が人気”と“愛称はキャロットアイランド”とフェリーの時刻表だけ…」
 というわけで、平敷屋港に向かうことにした。那覇から約1時間ちょっとで平敷屋港に到着。待合所でフェリーの到着を待っている間、テレビでは関東地方の台風の状況を伝えている。羽田発着の空の便は、午前中を中心に欠航が相次いでいるという。かつて、台風の影響で多良間島に幽閉された経験のある僕は、こういうニュースを聞くと人事ながらちょっと胃が痛くなる。
 さて、いよいよフェリーが港に到着した。津堅島――誰が名付けたのか「キャロットアイランド」なんていう愛称が付けられた島。ニンジン畑を営む農家が多いのが由来だそうな。それ以外、あまり情報を知らない僕らは、未踏の島にちょっと胸躍らせる。

津堅島へは平敷屋港からフェリーか高速艇で渡ります。
そう言えば平敷屋って今はもう勝連町じゃなくてうるま市なんだよねぇ。
うるま市とか南城市とか、未だに違和感があってピンと来ないんですが…

 

フェリーの待合所で「新垣ちんすこうアイス」を食べながら船を待つ。
神谷観光さんは、津堅島の観光部門を一手に引き受けるヤリ手な有限会社さん。
フェリーを自前で持ってるのって、何気に凄くない?

 

この日、台風18号が日本列島を襲撃。特に近畿は相当な被害。
朝からずっとテレビのニュースに釘付けでした。
台風には慣れている(?)沖縄の皆さんも、かなり注目していたのが印象的。

 

“フェリーくがに”が港に着岸。意気揚々乗り込みます。
ボディーに描かれているのは、擬人化された浮かれたニンジン2本。
さすがは「キャロットアイランド」。そう言えば「ふたりの愛ランド」ってあったなぁ。

 

 フェリーに乗ること30分、津堅島の津堅港に着岸。さあ、歩くぞ〜、周囲7km!
 港から集落に向かう途中、貸し自転車の文字が描かれた小屋に遭遇。一瞬「自転車にしようか…」との誘惑にも駆られたが、ここは当初の計画どおり、徒歩での島巡りを遂行することにしよう。
 まずは島の集落へ入る。集落内はそのほとんどが住宅で、人通りも車も少ない。ただ、島の中心部にある個人商店には車で乗りつけるお客さんや子供連れのおばあさんの姿があって、寂しい感じはしない。のどかで穏やかな休日の午前中って感じ。その集落を北の方に抜けて行くと、集落の外れに展望台が出現する。不思議な形状の朱色の展望台…これがニンジンを模(かたど)って作られたものだと気付くのに、少々時間が掛かってしまった。
 展望台に上ると、先客がいた。50代と20代の男性二人組みだ。明らかにビーチに泳ぎに来たという感じでは無い。会話を聞くとどうも教授と学生っぽい雰囲気で(定かでは無いが)、年長の男性は津堅島のことを良く知っているらしい。“ヤジリ浜”の沖に“アフ岩”という無人島のような岩があるとか、ニンジンだけじゃなくモズクも有名とか、そういう話を若者に聞かせていた。それを僕は横で盗み聞き。
 あ、展望台に来たんだから、眺望を楽しまないとね。それにしてもコンパクトな島だ。このさして高くないポイントから島の隅々まで見渡せる。北方面には、一際海の色が綺麗な見える。
 僕「あれが“トマイ浜”だね、たぶん」 K「なかなか綺麗そうなビーチだね」
 よし、それじゃトマイ浜を目指して歩きますか。

約30分で津堅島に到着。船中もずっとテレビで台風情報を見てた。
しかし沖縄は台風の影響もほとんど無く、気温は32℃ぐらいで、陽射しはかなり強力。
津堅港にある立派なターミナル。まさかこれも(有)神谷観光さんが!?

 

港側から集落方面を見る。昨日の伊江島以上に平坦な島っぽいね。
今日は昨日の教訓を活かし、自転車では無く徒歩で島を周ることにします。
島の周囲は7kmの距離なので、徒歩でも余裕で周れます、たぶん…

 

集落内には小さな商店も幾つかあるみたい。
約500人の島民の皆さんも、ほぼこの集落にお住まいであろうと思われます。
全体的にコンクリがちな佇まいが沖縄の離島っぽい風情。

 

無造作に積まれた段ボールがインパクト大な個人商店。
「掛売りは致しません」の貼紙がしてあった。所謂「ツケ」はダメよ、ってことね。
まぁ、小さな島ですからね。お金でのトラブルは避けたいところなんでしょう。

 

愛の一族って何?と思わず目を留めてしまったポスター。
詳細はググッてみてください。
僕は真っ先に映画「犬神家の一族」の主題曲「愛のバラード」を連想。

 

集落の外れに聳え立つ“ニンジン展望台”。
言われないとニンジンと気づき難い形状だけど、素朴でカワイイとも言える。
展望台の中にあるベンチもニンジンを模した物で、島の拘りを感じます。

 

展望台からの眺望。“トマイ浜”が見えます。
こうして見ると、結構広いビーチみたいです。海の色も綺麗です。
まずは、あのビーチを目指してみることにします。

 

引き続き展望台からの眺望。う〜ん、平らな島だなぁ。
これだったら自転車での移動も問題無かったかも…と思うが、油断は禁物。
40過ぎのおっさんの体力の衰えを甘く見ちゃいかん、と自分に言い聞かせる。

 

 農道というか、そこそこ広くて舗装はされているけど畦道っぽい島の周回道路を北へ進むと、“津堅ビーチ”の案内板と出くわした。どうやら“トマイ浜”だったり“トゥマイ浜”だったり“津堅ビーチ”だったりと標記が複数あるこのビーチは、(有)神谷観光という会社が管理しているようだ。この会社、島の観光関連業務を一手に引き受けてる何だか凄い会社。島を結ぶフェリーだってこの会社の持ち物みたいだし、民宿やマリンレジャー、バーベキューに島唄ショーまで、手広く営んでらっしゃるようで。キャロット・アイランドというより、神谷アイランドって感じ?
 とにかくその案内板に従って、周回道路から反れて浜へと降りる坂道を下り、さらに“ビーチ入口”と描かれたサーフボードの矢印に従えば、そこにはなかなか上等のビーチがお目見えする。
 同じフェリーに乗っていた人達も、そのほとんどがこのビーチに居た。やはり津堅島を訪れる人の多くは、このビーチでの海水浴なんだろう。
 僕らも、その海水浴客から少しだけ離れた場所に座り、しばらく海を見ていた。こうして何もしないで、ほとんど何も考えないで、ただぼんやりと海と波を眺める時間。僕はこの眼福至福に身を委ねるために、離島に来ているんじゃないかと思う。もちろんそれだけってのはちょっと言い過ぎかもしれないけど。ときどき海水浴客の賑やかな声が途切れ、波の音と風の音だけしか聞こえない瞬間が来る。ふだんの自分が如何に音に塗(まみ)れて暮らしているかを思い知る。昨日はかなり風が強かったが、今日は比較的穏やかで、波も静か。このままここで寝っ転がっててもイイかな、っていう気分。
 …しかし、超が付くほどマイペースなわりに、一所にじっとしていられないのがKという人物。「そろそろ行こうか」と、ビーチを去ろうとしている。仕方が無いので僕もそれに続き、再び周回道路に戻る。

トマイ浜、またの名を“津堅ビーチ”。ここにも神谷観光の看板が。
一瞬「有料ビーチか?」と警戒してしまったが、無料ビーチで一安心。
別に金をケチってるワケじゃないんですよ。ただちょっと抵抗感があって…

 

おお、綺麗だ。これはなかなか素敵なビーチじゃないか。
この時期、島を訪れる人のほとんどがこのビーチ目当てだと思われます。
ビーチ横に神谷観光のレジャー施設もあるので、快適な浜遊びが楽しめそうです。

 

遊泳可能エリア(?)はブイで区切られていて、人も多く賑やか。
それ以外のエリアはご覧の通り、人も居なくて静か。
広いビーチなので、北側に移動すれば静かに過ごしたい人もOKかと。

 

慶良間諸島にも行きたかったけど、津堅のビーチもなかなかイイねぇ。
人が少ない分、ビーチでものんびり出来るし、結果的には良かったかも。
島がコンパクトなのもちょっと安心感に繋がるような気がするし。

 

対岸に見えるのは、恐らく与勝半島。…さっきまで居た平敷屋辺り。
手前の植物はたぶんモンパノキだと思うが…何しろ植物に疎いもんですから。
陽射しを遮るものがほとんど無いので、長時間居るのであればパラソル必須かと。

 

最近はビーチに来ても泳ぐことはめっきり無くなりました。
とりあえず、ぼんやりと海を眺めてるだけで満足って言うか。
ひょっとすると、その為に離島に来てるのかもしれないとさえ思う瞬間。

 

 島のほとんどは畑である。これらすべてがニンジン畑ってわけでも無いのだろうが、とにかく圧倒的に畑。ただでさえ平坦な島が一面の畑のおかげで尚更平らに見える。聞こえるのは草木の葉擦れと鳥の声、そして時折潮鳴り。まったくもって静かだ。
 僕らは歩きながら、沖縄に確実に秋が来つつあることを実感していた。もちろん陽射しはまだ強めだし、気温も30度は超えているのだが、のんびり歩いていても茹(う)だったりクラクラしたりすることも無いし、汗もそれほどかかない。空の色も心なしか秋めいているように思える。
 K「歩いてても全然疲れないよね」
 僕「かなりゆっくりペースだし、今日はそれほど暑くもないしね」
 K「下手したら東京のほうが暑いもんね、夏は」
 確かに気温や不快指数は夏の東京のほうが高いかもしれない。でも、沖縄の夏の難敵はなんと言っても強烈なサンライト!太陽光線!紫外線!実際、沖縄に来てたったの3日間なのに、僕はすっかりコッペパン色に変色している。もう40過ぎなのに、お肌に悪いじゃない!キ〜ッ!

 途中、茂みの中に車の轍のような獣道のような軌跡が現れる。恐らく海へと続く道なんだろうが、その先が余りにも鬱蒼としていると進むのを躊躇してしまう。そんな轍を幾つかやり過ごしながら周回道路を歩いているうちに、比較的幅の広い轍に出くわしたので、そこを通って浜へ出てみた。
 浜は思ったよりも広く、その一部には階段式護岸が施されていた。真正面の沖には小さな島が見える。…あ、これはきっと、僕がニンジン展望台で盗み聞きした“ヤジリ浜”と“アフ岩”に違いない。
 何となく「すっきりし過ぎた川平湾」といった趣きの眺め。海水浴する人が居ない分、当然トマイ浜よりも静かで、海面を渡ってくる緩い風に乗って、軽い海鳴りのような、正体不明の乾いた音が響いてくる。
 浜から茂みの中の轍を戻る。それにしても、離島のこういう茂みの中って尋常じゃないぐらいゴミが散乱放棄してあることが多いのだが、これって観光客の仕業なの?他の島では大型家電(洗濯機や冷蔵庫)、廃車なんかを藪や雑木林の中で見かけたりするが…観光で島を訪れた人は、そんなことしないと思うんだけどなぁ。台風や大時化(おおしけ)で流されて来たとか?…どちらにせよちょっと残念な光景ではある。

ビーチを後にして、島一周を再開。
集落を離れると、周囲は畑ばかり。これはやっぱりニンジン畑なんでしょうか?
ニンジンってどの季節に採れる野菜なんでしょうか?…やっぱり冬?

 

そんな畑で何やら農作業に精を出すご婦人。
実は、津堅島のニンジンの生産高は減っているらしい。
もっとも需要が減っているというわけではないみたいだけど。

 

島の北にある“ヤジリ浜”へ続く轍のような道。
島には先程の“トゥマル浜”とこのヤジリ浜の他にも幾つか浜があるようです。
いかんせん、ろくに地図も見ず来ちゃったので、詳しい情報は皆無な状態…

 

ヤジリ浜。沖に見えるのは“アフ岩”。岩というより島って感じ。
干潮時には歩いて渡れるんだとか。
(↑盗み聞きatニンジン展望台情報)

 

 先程のヤジリ浜は島のほぼ北端。そこから港や集落のある南までダラダラと歩く。海沿いに防風林の役目を果たすのであろう雑木林や藪がある以外は、周囲はひたすら畑のみ。かと言って農作業をしている地元の人の姿もほぼ皆無で、ここまで静かだと「島の人達はどこで何をしてるんだろう?」という疑問も…約500人の島民の皆さんは、集落内でお過ごしなんでしょうか?
 途中、20〜30代と思しき西洋人男性2人組とすれ違う。「コォニチワ〜」と満面の笑みで挨拶をしてくる西洋人達に、釣られて僕らもなけなしの愛想で返す。米兵さんかな?で、僕らは歩きながら米兵さんについてあれこれと話す。今回の旅行ではYナンバーの絡んだ事故現場を3度も見掛けたこと。オスプレイのこと。米軍基地のこと。…普段、僕らはこういうことをあまり話さないし、このときもヘビーな議論では無くて、どちらかというと当たり障りの無い一般論的な話を軽くした程度のことだ。
 ふと、2日前に見に行った真栄原のことを思い出した。もしも「それ」が完全に無くなったとして、「それ」がもたらしてきた功罪の「功」の部分は、果たして他の何かで埋め合わせることが出来るのだろうか。「それ」が無くなるということは、当然「それ」に付随した物事との「繋がり」も途切れることになる。一度途切れた「繋がり」はそう簡単に繋ぎ直せないし、再び歩み寄ろうとしても相手から拒否されかねない。それらをすべて受け止め、自らの力でその中から新しい「功」を生み出すことは可能なのか…まぁ、これは僕の個人的な懸念に過ぎないけど。
 そんな詮無いことを話したりぼんやり考えたりしていると、再びさっきの西洋人達とすれ違う。さすがに「コォニチワ〜」のリピートはちょっとおかしいと思ったのか、今度は笑顔で会釈して去って行った。笑顔は笑顔なのだが、その表情にどことなく気まずさめいたものを滲ませていたのを見て、何だか急に親近感が湧いた。

沖縄に来ると、ついつい撮ってしまうハイビスカス。
今回の旅行でも、ハイビスカス画像がムダに16枚も…。
ひょっとしてこの鮮やかな赤色に惹き付けられるのか?俺は牛なのか?

 

島のほぼ真ん中辺り。崩壊&放置状態のビニールハウス跡が散見。
たぶん台風にやられて、シート張替え出来ずにそのまま…という状況なんだろう。
台風の多い沖縄でハウス栽培ってのは、ちょっとリスキー過ぎるのでは?

 

うっかりすると、島の端から端までが一望できそうな感じ。
まぁ、実際には集落の辺りが若干高くなっているので、そうも行かないんだけど。
徒歩でウロウロするには丁度良い広さの島です。体力の無い僕でも大丈夫!

 

島の南側にある漁港。
友人Kは左側に見える舟を見て「サバニだ!」と色めきたっていた。
津堅島はもずくが結構獲れるらしい。集落では干しイカも見かけました。

 

 ユルユルと歩き通して集落まで戻って来た。来たときには気付かなかったけれど、『津堅構造改善センター』なる施設が集落のすぐ脇にあった。何だか物々しい名前だが、どうやら島の農水産物を加工販売している所らしく、確かに敷地内には天日干しされたイカがぎこちなくはためいている。イカの塩辛や野菜の漬物も扱っているらしいのだが…何だかちょっと近寄りがたい雰囲気の建物だったので、結局入らず終い。この施設って、観光客向け?地元の人向け?それとも業界関係者向け?今ひとつ分かりづらいんだが…
 集落外周の港に面した道路には、ナンバープレートを外した廃車が、まるで路上駐車しているかのように並んで置かれていた。あまりに自然に置いてあるので、うっかり見過ごすところだった(ってべつに見過ごしても良いと思うが)。構造改善するなら、こういうところから先に手を打ってはどうかと…

 ちょうど15:00発のフェリーに程好い時間に港に着いたので、そろそろ島を後にしよう。
 フェリーの到着を待つ間、フェリーターミナル内に設置された特産物コーナーのような一角を観察。コーナーには誰も居なかったので、ここに陳列されていたものが売り物なのか展示物なのか、いまいち分からなかった。でも、ニンニクとかイモの類が籠に入ってるし、これってたぶん即売所のはずだけど…
 棚の中には、貝殻を使った動物のマスコットなどが陳列されている。これってもしかして、さっきの構造改善センターと関係ありですか?これまた何の解説も無しで置かれてるもんだから、若干意味不明なんですが…
 もう少し観察を続けたかったが、フェリーが入港したので、僕らはターミナルを出て乗船。船内の顔ぶれは、往路とほぼ同じ面々だった。たぶん、ほとんどの人はずっとトマル浜界隈で過ごしていたんだろう。…ひょっとすると、それが津堅島での一番有効な時間の使い方なのかもしれない。いや、べつに島を周るのが無意味だなんて言うつもりはありませんよ。少なくとも、僕らは結構歩く時間を楽しんでいたし。ただ、この島自体は明らかに観光向けの島では無いと思う。で、それがこの島の静けさや長閑(のどか)さを保つ大きな要因となっているのは確かだ。それが島にとって良いことなのか悪いことなのかは分からないが。
 一方で、橋で繋がれた故に得る物も失う物も大きかっただろう古宇利島の現状を思うと、結局観光客に過剰に阿(おもね)ってしまうということは、その土地自身の消費財化とほぼ同義って気がする。
 K「橋って言えば、伊良部大橋が再来年開通だね。伊良部島は大丈夫かな?」
 僕「どうだろうね。でもあの島は今でもわりと開(ひら)けてる感じだから、案外上手くいくのかもね」
 何だか苦々しい話ばっかりになっちゃって、申し訳ありません。これはべつに津堅島のせいじゃありません。ただ僕がひねくれてるだけで。

津堅港に戻って来ました。昨日に比べて余裕綽々な我々。
かなりのんびり歩いて約3時間で島をほぼ1周。15時発の便で本島に戻ります。
沖縄では比較的お馴染みの堤防アート。左端は津堅中59期生の絵。ちょっとカッコイイ。

 

おお、こんなところにもキャロットが。
これはフェリーターミナルの壁。
キャロット推し…じゃなくて、キャロット愛に貫かれた小さな津堅島の旅、終了。

 

 津堅島から平敷屋港に戻ると、Kは徐(おもむろ)に例の“穴場リスト”を取り出し、「“平敷屋の製糖工場跡”に行こう」と提案してきた。まぁここから近そうだし、イイんじゃないの?ということで、その物件に向かうことにした。
 平敷屋の集落とホワイト・ビーチ地区(米軍施設)の境の辺りのサトウキビ畑の奥に、レンガ造りの立派な煙突が立っていた。これが平敷屋の製糖工場の唯一残った遺構だ。昭和15年に操業を開始したが、4年後、沖縄戦で工場は破損し、レンガ煙突だけが今もそこにある、という状況らしい。煙突には戦争時に受けた弾痕も残っているんだそうな。“だそうな”と書いたのは、実は僕、煙突に近づいていないので、ちゃんと確認できてないからなのだ。煙突のあるサトウキビ畑の前に車を停めて、車内から煙突を眺めて、それでお終い。車から出る様子が一切無いKに対し、「キミがリストアップしたスポットなんだからちゃんと見ればいいじゃん」と思ったが、正直僕自身も「とりあえず在るのを確認できたから、それで十分かも」という気分だったので、そのまま何となく車中観賞のみ、になってしまった。
 
 引き続きK作成の穴場リストをチェックする旅。次は『みやんち(宮沢和史の店)』にするか“コザ吉原”にするかその両方に行くか少し悩んだが、結局“コザ吉原”のみに行くことになった。
 コザ吉原――べつにこの辺りの住所が吉原というわけではなく、東京の吉原に肖(あやか)ってついた名前だそうだ。つまり、ここも一昨日の真栄原同様、性風俗を営む店が集まる地域というわけ。真栄原が圧力で壊滅したとき、そこで働いていた女性たちが一時的に吉原へ移ってきたという噂もあったが、程なく吉原でも浄化と称した弾圧が始まり、この街もほぼ壊滅状態になったらしい。
 
 吉原の入口付近にあるコインパーキングに車を停める。パーキング内には既に“わナンバー”の車が数台停まっていた。こんなところに駐車するわナンバーってのは…僕らのような「単なる興味本位で街をうろつく厄介者」か「本来の目的のために来た真っ当な利用客」ぐらいしか居ないだろう。ということは、ひょっとして吉原はまだ絶滅に至っていないということか?
 駐車場を出ると、いきなり目に飛び込んできたのが『少女』という電飾看板。少女って…当局に喧嘩売ってるのか?とワクワクしながら街の中へ。
 …う〜む、これって現在進行形の色街なんだろうか。一見、どこもかしこも閉まっていて人の気配も無いのだが…と思っている矢先、県警のパトカーがゆっくりと通りを走って来る。乗車した2人の警官は、僕らをジロリと睨む。どうも国家権力には無意味な敵対意識を持ってしまう僕は、そんな警官を睨み返す。
 しかし、こうしてわざわざパトカーが巡回しているということは、まだどこかで消えない火種が密かに燻っているということなのか、はたまた再び火が出なうよう監視しているということなのか、どうもはっきりしない。
 中にはドアが開いていて人の気配がする店もあるのだが、それが純粋にスナック営業してる店なのか否かも分からない。真栄原のようなあからさまなゴーストタウンっぷりでは無いし、昼間の沖縄の社交街なんて大概似たり寄ったりな状況なので、ここが完全に死んでしまっているようには見えにくい。って言うか、30〜40分ぐらい街を徘徊していたのに、見かけたのは恐らく性産業とは関係の無い地元のおばあちゃんとおばちゃん数名だけだったのだが、わナンバーの連中は一体どこへ消えたのか?どこか密かに営業している店に入ってるとか…?
 まだ真栄原ほどは荒廃していないけれど、そうなってしまうのも時間の問題といった感じの、吉原の街。これらの街が戦後沖縄の負の遺産だとするならば、それを浄化の名の下に排除し「無かったこと」にすることが、果たして健全な道なのかどうか…もっとも、こういう動きは沖縄に限ったことじゃないのだけれど。
 
 複雑な気分のまま吉原を後にし、美里大通り経由でコザ十字路に出る。十字路付近に“銀天街”のアーチが見えたので、僕らはそちらに向かって歩く。
 この銀天街、廃れっぷりが凄い。商店街だけど営業している商店は極めて少なく、シャッターの降りたままになっている「元・店舗」がほとんど。時折シャッターが降りていない物件も見られるのだが、そこは大概「NPO法人」やら「介護サービス」やらの事務所になっている状態。これは最早商店街では無い。恐らく商店街として維持再生する意思を捨ててしまっている。もっとも、比較的近場の泡瀬地区等を中心に本土資本の郊外型大型店舗がどんどん進出している現状では、こういう商店街が生き残るのは至難の業だと思うが。
 僕「もう地元の客を見込めないんだとしたらさ、後は観光客を呼び込むしか無いと思うよ」
 K「どうやって?」
 僕「“なんちゃって沖縄のディープな商店街”を作るってのはどう?谷中ぎんざみたいなのとかさ、浅草の仲見世とか、通天閣界隈とか、博多の屋台村とか、もっと言っちゃえば新横浜ラーメン博物館の“昭和33年の町並み”とかさ。牧志の公設市場や農連市場の郷土色とかアジアっぽい雑多感を過剰に演出した“テーマパーク商店街”みたいな感じっていうの?」
 K「それって国際通りみたいな街にするってこと?」
 僕「国際通りに郷土色なんてもうほとんど無いじゃん。もっとこう、ベタな沖縄観っていうかね。売り物は土産物とかでもイイけど、店構えはいかにも地元のおばちゃんが路地裏でひっそりやってる個人商店風とか、怪しげな米軍払い下げ品の店風だったり、ビックアイス(アイスクリン)のパラソルと路上販売員を置いてみるとか、これみよがしにサーターアンダギーを店頭で揚げてみせるとか、古民家風のそば屋とか、そういうコテコテの沖縄イメージの羅列。店のオバァはみ〜んな平良とみ!みたいな。突発的にカチャーシーが始まっちゃう!みたいな」
 K「…やだなぁ、そんな街…」
 僕「いや、分かりやすいほうがイイんだよ、観光客にとっては。道頓堀に行ったらみんなとりあえずグリコの看板の前で写真撮るでしょ?かに道楽の動くカニの写真撮っちゃうでしょ?くいだおれ人形見に行っちゃうでしょ?わざわざ道頓堀に行ってはなの舞の前で記念撮影しないでしょ?そういうことだよ」
 K「…はぁ…」
 僕「せっかく観光客が押し寄せるんだからさ、それを指を咥えて見てるのはもったいないよ。このまま滅ぶのを待つぐらいなら、いっそもっと振り切っちゃってイイんじゃない?」
 …かと言って、僕自身がこういうテーマパーク化した商店街に足を運ぶかどうかは別の話ですが。でも、人を呼ぶ必要があるのなら、やっぱり思い切った舵切りは大事だと思う。古宇利島の選んだ道みたいなね。

コザの吉原界隈をウロチョロしてみました。
ここも一昨日の真栄原同様、今ではかなり下火になってしまった色街。
パトカーも巡回してました。でも、隣接する駐車場にはわナンバーの車が数台…

 

何だかここもすでに営業してない感じですけど…真栄原ほどは荒廃してないけど。
「ホステス募集」のチラシが貼ってあったけど、ホントに募集してるんだろうか…
ここもゴーストタウン化するのは最早時間の問題ってところなんだろうか。

 

そんな吉原をも凌駕する廃れっぷりを見せるのが、程近くに在る“銀店街”。
脇道のような路地にこそ営業中の店もあるが、メインのアーケードはボロボロ状態。
やたらと目立つのは空き店舗に入居するNPO法人の事務所ばかり。

 

時計は止まれど時間は止まってくれず。
劣化し所々穴の開いた波板の天井にも、経年の疲労と諦念、寂寥感が滲みます。
沖縄に限らずこういう商店街はどこも厳しいんでしょうが、この劣化具合は…

 

妙に新しく見えるアーチが何となく虚しい…
かつては沖縄随一の賑わいを見せていたという銀天街。
栄枯盛衰は世の理(ことわり)とは言え、モヤッとした感覚が残ります。

 

とか言いながら、実はワタクシ極々軽〜く廃墟マニア入ってるので、
「沖縄のコンクリ建築の色褪せ具合がたまらない♪」なんて喜んでる始末。
こういう性質(たち)の悪いヤツの戯れ言はどうぞ無視してください。


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